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浄土真宗掲示板

73名無しさん:2017/05/29(月) 21:52:18
人は満たされていなければ、他者を気遣うことができない
つまり、他者を気遣うことができず、誰かを傷つけてしまうということは、何かしらによって苦しんでいるということに他ならない
横暴に見える他者でも、その背景を知れば必ず理解し合うことができる

しかし、自らのみの力で他者の背景を推し量ることはとても難しいことだ
何故なら、私たちは自分自身から見える範囲でしか物事を考えることができず、怒りや怠慢に簡単に絡め取られてしまい安直な答えをとろうとしてしまうからだ

だからこそ、常に自らを律し、相手の語る内容に耳を傾ける必要があると考えている

ただ、例え他者の語る内容に耳を傾けたとしても、それで万事物事が解決する訳ではない
何故なら、他者に対して自らの背景を語るということは他者の背景を推し量るということ以上に難しいことであるからだ

私たちは自分自身を理解しているつもりであっても、自らの本当の背景に気付いていないことが往々にしてある
自らの背景を語っているつもりであっても、それが実際の本心に即していなければ、問題の解決には至らないのは当然であろう

自らの背景を語るためには、まず自分自身の本心に即した背景を包み隠さずに知るということが重要になる
しかし、自分自身の本心に即した背景を包み隠さずに知るということは、自らが思い描く自己像を破壊することに等しく、また、自らを縛る心の傷と向き合うことと等しい
故に自分自身の本心に即した背景を包み隠さずに知るということは、他者の背景を推し量るということ以上に難しい難中の難であり、また、それを語ることは至難であるといえる

しかし、この難中の難を紐解き、至難を乗り越えなければ、他者と理解し合うことはできない
何故なら、通常、人は心に傷を持っているとは考えておらず、持っていると自認していたとしても、それが自らの行動に強く影響する背景となっているとは理解していないからだ
しかし、心に傷を持っていない人間などこの世には存在しないし、些細なことでバチバチに傷つくのが人間である

つまり、自らの本心を知ることができず、他者に背景を語ることができない根底には、弱い自分を切り捨て、自らの抱く強い自己像のみを演じ続けようとすることがある
この自己の心に対する解釈の乖離こそ、自らの背景を包み隠さずに知るということを妨げる要素であり、自縄自縛するその縄であるといえる

勿論、他者が真に心の傷を持っていないと語るのであれば、それは尊重すべき内容ではあるだろう
しかし、実際に何かしらの問題が起こっているのならば、必ずそこには原因があるといえる

それは問題を構成する何某の人間のみに還元することのできることではない
何故なら、完全に自らの成すべきことを事を成しているならば、問題など起こりようがないからだ

「傷ついた」というその一言を言えないがために、人は理解し合うことができず、傷つけ合いの螺旋から逃れることができないでいる

本心から語り合うならば理解し合えないことなどありえないにもかかわらず、自らの縄によって苦しみの海に沈み続けているものこそ、我々の現実の姿だろう

自らの前に立ちはだかるその人はそのような苦しみの海より救われたいがために、自らの前に立ちはだかっているのだ

他者の責任を担い立ち上がることのできるものは、心の傷を顕かに知り、顕かに示すことのできる者だ

踏み出せないその一歩を踏み出すことで、私には知ることができないとしても、間違いなく救われる人がいる

その事実こそ、絶望の只中でなお、無意味を越えて歩み出す力となるのだと強く感じている


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