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浄土真宗掲示板
65
:
名無しさん
:2016/01/01(金) 21:13:22
年末のクッソつまらん番組に辟易している層を狙って、NHKがピタゴラスイッチの特番、ピタゴラ装置大解説スペシャルをやっていた
この番組では、ピタゴラスイッチの基本的な機構を解説するなかで、機構の意味が変容するということを解説していた
この機構の意味が変容するということは、例えば、上りの階段という意味を持った機構がその役目を終えたのち、下りの階段へとその意味を変えることや、ドミノという意味を持った機構が倒れ終えたのち、球が転がる道という意味を持った機構に変わるというようなものだった
これと同じに人生にも意味の変容は起こる
例えば、苦や死、何かしらの妨げなどがそれに挙げられるだろう
普通一般において苦・死・妨げは避けるべきもの、忌み嫌われるべきものという意味を持っている
だが、ことに仏道において、避けるべきこれらは、仏道の成就の為に乗り越えられるべきもの(全うされるべきもの、それをしてなお願われるべきものごと)という意味に変容される
苦しみが大きければ大きいほど、反作用のように人間の尊厳はその尊厳足る意味を成就するのだ
中国の高僧、曇鸞はこれを喩えて、
高原の陸地には、蓮華を生せず。卑湿の淤泥に、いまし蓮華を生ず。
これは凡夫煩悩の中にありて、菩薩のために開導せられて、よく仏の正覚の華を生ずるに喩う
と解説している
思い通りに行く中で思い通りにすることには何の尊厳もない
ホームランを打つことが確実にできるものがホームランを打ったとしても、そこに感動は起こり得ない
願いすら持つことのできない中でなお願いを持つ、そこにこそ奇跡が起きていると言えるだろう
人間は人生のある一点にしか焦点があたらない
だから、自らの物差しで目の前の物事を短絡的に苦であると認定してしまうのだ
だが、人生の全体をみるならば、その苦にこそ意味があるものである
仏教では、人を動かしめる意欲、人生全体の意味保管するものを仏法と呼ぶ
人は自らの人生を他者のため、苦を乗り越えるために生まれてきたのだ
乗り越えないままに乗り越えるのである
最後に曇鸞の言葉を引いて締めくくることとする
もし人ひとたび安楽浄土に生ずれば、後の時に意「三界に生まれて衆生を教化せん」と願じて、浄土の命を捨てて願に随いて生を得て、三界雑生の火の中に生まるといえども、無上菩提の種子畢竟じて朽ちず。ーー正覚阿弥陀の善く住持を径るをもってのゆえにと。
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