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浄土真宗掲示板

58名無しさん:2015/07/09(木) 14:45:37
真宗における救いとは摂め取って捨ずという言葉であらわされます。
それは信心の発起、つまり願往生心の発起があらゆる人間の上に起こることを示すものです。
この願往生心とは法蔵菩薩に象徴される生き方を志向せしめるものであり、あらゆる人間、動物、植物、ものを選ばず、あらゆる痛ましいあり方を嫌わず、何度言っても理解できないものを信じ見捨てずに寄り添い本当の願いを訴え続けせしめるものです。
結果を超え、無意味を超えてそれでもと一歩を踏み出さしめる力を指すものです。

南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏(選ばず嫌わず見捨てず)に南無(良いよねと思う)するということです。
まあ勿論私たちは自分さえよければそれでいい訳ですから、阿弥陀仏良いよねとか思いません。
だから、阿弥陀仏はそんな私たちが阿弥陀仏良いよねと思えるように南無阿弥陀仏という心、本当の願いとなって私たちの心の中までわざわざやってくる訳です。
このやって来ることを大行と呼びます。
で、このやって来た大行がせしめたまうことすべてを称名と呼び、念仏と呼びます。
そしてこの心と行動が一つになることにおいて必ず阿弥陀仏と成る身(現生正定聚)におさまるのです。
なぜ、必ず阿弥陀仏と成る身であると言い切れるかと言うと阿弥陀仏に成りたいという心がなくなってしまうことがないからです。
なぜなら、できるとかできないとかの結果を超え、意味があるとかないとかを超えているからです。
こういうかたちをとって、摂め取って捨ずということが実現する訳です。

と思う訳です(笑


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