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浄土真宗掲示板
54
:
名無しさん
:2015/05/25(月) 10:13:39
誠にこの世は不浄である。
ではなぜ、この世は不浄であるのか。
それを乗り越えるためである。
ではなぜ、不浄を乗り越えることができないのか。
結果を越えるためである。
人間は自分を肯定するために、自分にさえ嘘をつく。
仕方がないと、都合良く諦め、言い訳を重ね、損得勘定を超えることがない。
自らの責任を誤魔化し、弱肉強食が自然であると思い込む。
他者のためという言葉で着飾っては、自らのエゴの拡大に努め、優劣に浸る。
他者のために生きようとする姿が他者を否定していく事実に人間は絶望する。
諦め、考えることをやめ、痛ましいあり方に身を委ねる。
泣きながら、他者を傷つけていく現実を前に心を殺す技術を覚えるのである。
しかし、残念ながら真実の絶望とは明るい。
どのような事実を前にしても、人間が絶望することはない。
絶望の中にあってなお人間は願わざるを得ないのである。
いっそ諦められるのであればどれほど楽であろうか。
ただなんの迷いもなく自らの間違った行いを省みることなく生きられるならば、どれほど楽であろうか。
決して逃れることのできない呪い。
これ以上の絶望があるのであろうか。
またどれほど有難いか。
不可能であると知りながらそれでも前に進む、理を越えた道理。徹底した間違い。
これ以上、力強いものはなく、これに勝る事実は無い。
人間は何度、現実に打ち負かされ、諦めたつもりになっても、
何度、机上の空論だと否定し、現実を見ろと言い聞かせても、
なお他者のために生きることを真に望むのである。
人間とは何か。
人間とは殺すものである。
そして、なお願うものである。
故言く、
汝、諦かに聞き、諦かに聞け。
願うところの願、汝自ら当に知るべし。
また曰く、
絶対の無意味を前にしてなお進み、無意味を越えることこそ、無意味の意味であると知れ。
例え、苦毒のうちに沈むとも、他者のために生きよ。
それを真実に望むのであれば、となり。已上
過去久遠よりの歩み。
皆そのように生きてきたのである。
あなただけではない。
大海ですら、杓子によってすくい取ることができる。
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