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浄土真宗掲示板

38名無しさん:2014/12/29(月) 20:13:39
子供の頃、ある時「幽霊なんていない、神様なんていない、仏様なんていない」ということを発見して、得意になったことがありました。
少し大きくなって本を読み出すと、哲学者ニーチェが「神は死んだ」なんて言っていて、してやったり、と。
哲学者サルトルも、人間は無であって、自由であるという罪に処されているとか言っていて、
決まった自分の本質や価値なんてないんだ、
全て気のままに自由なんだ、自由であるべきなんだ、とか思っていました。
意気がって言えば全ての価値の価値転換ですが、要するにニヒリズム。
方向性を見失って、放り出されて、何のために生きているのかわからなくなりました。

でも、人と繋がっていたいとは思ったのですよね。
友達でも恋人でもいい、人と触れ合いたい、人の優しさと繋がりが欲しい。
一方で人をやり込めたいとも思っていたのですが、
思うようにならないと直ぐに不貞腐れたり怒りを爆発させたりしていました。

考えてみると、結局それ全てが自分も人も傷つけてたんですよね。
人は自分の気ままを満たすための所有物じゃない。
人が思い通りにならないのに腹を立てるのは、
本当は自分自身を腐らせているのだし駄目にして、心をささくれ立たせているのだ。

仏教をいくら勉強してもわからない。
ブッダの言葉を読んでも法華経を読んでも般若心経を暗唱しても座禅を組んでも念仏唱えてもわからない。
断片的には分かるのだけど、本当は納得してないし、腑に落ちない。
本を読んで解説を読んで、いい気になっていっぱしの説明を人に語っても、
内心本当は、大乗仏典は妄想的な光景を描いた絵空事でないかと、そうとしか思えない。
だって賢くなろうと思ってやっていたから。
人と違う、人生を深く考えているんだということを見せようと思ってやっていたから。
救われたい、救われたいって自分のこと、自分の心の苦しさばかり考えていたから。

でもある時、とても優しい人達にあって、とても親切にされたんですよね。
無償で、無条件で、大らかで。
とても朗らかで、生き生きしてて。
人をやり込めることなんて考えないし、賢さを見せびらかそうともしない。
親切さを誇るためにやっているのでもなく、
ただ朗らかな人格から自然に親切な行為が溢れでているような、
そういう人たちに出会って
びっくりしてしまったんですよね。
信じられない、って。
そんな人いるわけない、って。

言ってみれば、自分の心がどれだけささくれだっていたか
その時阿弥陀様が教えて下さったのだと思う。
無条件の優しさ、親切さ、
人への信頼。
自分に囚われている時には決して見えないけれども、
そういうものは本当に、ある、って。

その時から、
何だか他のもの何も要らなくなって、
南無阿弥陀仏、と
徐々に唱えられるようになった気がするのです。


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