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浄土真宗掲示板

36名無しさん:2014/12/29(月) 12:01:38
僕は結構最近まで凡夫であると自覚することなんていうのは不可能であって、宗教的価値空間において優越感を得る方法か自分のエゴを通すための言い訳でしかないと考えていましたが、どうやらそう名告ることは菩薩道であると言えるなと考えるようになってきました
凡夫の名告りとはこれは法蔵菩薩の自覚ですね
まあ菩薩道、仏道の具体相としての凡夫の名告りです
法蔵菩薩の自覚とは一切衆生を一人に担わしめるということであり、遇縁存在という大地に立たしめるということです
遇縁存在という大地に立つということは、どんなにダメな奴がいても、ただ遇う縁が違うだけで自分自身も同じ縁に遇えば同じ事をするのであるということであり、南無阿弥陀仏、つまり、あらゆるもの(動物や植物、物を含む)に対して同苦の思いやりを持ちたいと願う心を回向された存在であるということです
この具体相として端的に表現されるのが凡夫の自覚ということです
これは決して菩薩の自覚ではありませんが、言葉を変えれば真の菩薩の自覚であると言えます
勿論、私はそのように自覚することは不可能であるので、如来回向の願心によって自覚せしめたまうものであります
あんまり上手く表現できていませんが、重層的なんで難しいところです
凡夫であると名告ることは、所属をはっきりさせることであって、生き方をはっきりさせることであり、自身の願いをはっきりさせることであると言えます
どのような人間とも共に歩もうという力強い自覚であり、どのようなものにも如来回向の願心を見出す自覚です
それは正に法蔵菩薩が四十八願を建立し、例えそれが無意味に終わり、後悔の中に没しても、それでも精進を続け悔いることはないと誓う自覚であると言えます
後悔の中に没して、精進が無意味に終わり、やはり自分では何も変えることができなかったとなったところから、もう一度それでもと立ち上がる自覚です
お前なんて全然ダメなやつだといい、差別することなんて仕方がないことだといい、殺し傷付けたところから、口が裂けてももう一度なんて言えない状況からもう一度立ち上がる自覚です
どうにもならない現実を認め、どうにもならない現実を担い、どうにもならない現実をどうにもならないと知りながらそれでも超えて行こうとする自覚です
これを仏道といい、菩薩道といい、凡夫道といい、往生浄土というのであると感じます


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