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浄土真宗掲示板

34名無しさん:2014/12/28(日) 08:07:35
おおよそ真宗を総括するならば、無上殊勝の願を建立し仮令身止諸苦毒中我行精進忍終不悔ということになるかと思います
つまり、法蔵菩薩ならばどうするかということに尽きる
真宗は約めれば摂取不捨の教えであり、願心回向の教えであります
ですので、真宗はよくそのままでいいということに理解されますが、そのままとはどのままであるのかが重要であります
そのままでいいならいいんですよ全然
別にどうあったって全然いい
問題はそう言われたときに自分がどう思うかであります
悪人のままでいいんじゃあとよくなりますがその悪人とはどのような存在であるのかということです
凡夫とはどのような存在であるのか
悪人と自覚するものが悪人か
悪人でありながら善人と迷妄する極悪人が悪人か
凡夫であると自覚するものが凡夫か
凡夫でありながら菩薩と迷妄するものが凡夫か
こんなもんは論を待たない
大体、人間は悪人や凡夫という価値空間を使って優越感を得るわけですから、これはもうどっちに転んだって同んなじことです
摂取不捨の眼目は願心を発起せしめることにあります
間違いに立ち、間違いを無限に超えて行こうとする如来の願心を発起せしめることにあります
如来とは如より来す願心であり、如に来す衆生心です
阿弥陀とはその内実を指します
願生浄土とは如より来し如に来させしめたまう心を指します
この実践が往生浄土です
自我妄念に降り立ち自我妄念を否定し自我妄念を打ち破り自我妄念そのものとなる法蔵の名告りが願生浄土であり、自我妄念に降り立ち自我妄念を否定し自我妄念を打ち破り自我妄念そのものとなる法蔵の名告りとして自我の妄念を歩むことが往生浄土です
願という報いることのできない恩に報いようとすることが往生浄土です
地獄一定の歩みこそが往生浄土であり、願力自然の仏道であります
唯除の道であり、除其本願の道です
人生の意味とは四十八願の建立であり、仮令身止諸苦毒中我行精進忍終不悔という自身が本当に願う自心の建立であります
摂取不捨とはこの事実の普遍成就を指し、その内実の方向性を端的に指すものです
ここで述べたことは全て徹底して間違っています
仏教は端的に言えば教権の否定と内的意欲の名告りです
無能力の白表であり、自覚自得、他のこれを代覚代得するにはあらず、です
これを信心海といい、摂取不捨といい、南無阿弥陀仏というのです
教権の否定が内的意欲の性質であり、内的意欲の具体性が教権の否定です
これが法蔵の本願を生み出す阿弥陀の本願であり、阿弥陀の本願となる法蔵の本願であります
本願はそれが正に真実の本願である故に本願を破壊します
それが法蔵の名告りであり、除其本願の意味であり、唯除の意味であります


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