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TK師との会話

1TK :2013/07/06(土) 10:47:36
こんにちは。

君の次元は音は聞こえている、景色は見えている、言葉は発せられている、ただし、自分のもの
では無い、このようではないだろうか。

ここでは、「自分」と言う捉え方は消滅したが、視覚情報、聴覚情報、言葉との微妙な距離感が
発生しているのだが、あまりにもそれが微妙すぎるがゆえに中々気づけないものだ。

そして、微妙だが確実に存在して立ちはだかっているこの「距離感」が「現象」との壁だ。

もちろん今のままでも「自分」と言うものが無いのだから、一般的に言う「(エゴの)苦悩」と
言うものが発生することも無いし、ここはここで快適なところであり、それは決して間違いと言
うものでは無く、巷で賢者と呼ばれる人たちの言いまわす状態に君がいる事に間違いも無いがた
だしこの先もあるのだ。

君の所では「識別作用(対象)」が消滅し「楽」を実現したという事で間違いはないし、これも
既に稀な現象であると言える。

もし君の段階の人がさらに先に進もうと思うなら、この微妙に存在する「距離感」を手掛かりに
確実に存在するものとしてしっかり掴み取ることだ、しかし、今の君が今のままで「楽」
と言うのなら私はあえてさらに先に進んだ方が良いなどとは言わない。

これより先に進む人と言うのは、この微妙な壁すらが「違和感」に感じてくるのだ。

君の状態もしばらく留まっていると、だんだんとこの残り物の存在が確固たるものとして、浮上
して来たりする場合もあることだろう。

君も立派に賢者だ、君にできる事をすると良いだろう。

2ラピ。:2013/07/06(土) 10:48:23
T師匠!

ご訪問、ありがとうございます。

師匠の言葉は私の今の状況を完璧に表しています。

私はかつて がむしゃらに道を歩いていましたが
師匠に出会うちょっと前頃は実はその道からそれていました。

そして師匠と出会うことによって
再び道を歩き始め
至ることができました。

至ってる方、本物は
確実にその道を求めるものを導きます。

私はその頃は訳もわからぬまま導かれていたことを
至って初めて知りました。

だから、もし、
本気で至りたい方がいればその方に言いたい。

まだ至ってない時にはわからない、
知っているつもりでもわかってない世界があるのだと。

だから、それを想像したり考えたりするのではなく
やるしかないのだと。

私はそれをしました。

師匠は私の段階(彼岸)の更なる段階(涅槃)があると
教えてくださいました。
その先へ進むかどうかは流れに任せたいと思います。

そして師匠は自分の道を行け
と背中を押してくださいました。

これからも私なりに真理を表現し続けていきます。

ありがとうございます。

師匠に出会えたことに感謝します。

3TK:2013/08/10(土) 09:51:58
なかなか新装オープンのこの掲示板も関心を引いているようなので、
この場を借りて私からも一言述べようと思います。

私はラピ。さんには縁があって悟りに至るための「激流」の教えを開きましたが、
実際は私にとって教える対象となる人の幅はもっと広いと思います。

その人から苦が少しでも減って、楽が増えればそれで良いと言う観点から、
それなりの教え方が主になるのだと思います。

精神世界とは一体なんでしょうか、人はなぜ今の時代に宗教を求める人がいるのでしょうか。

恐らく、苦しいからですよね。

苦しいから、苦しくて何が何だかわからないから求める。

楽になりたいからと言うはっきりした動機ではないかもしれない、
そこに行ったら楽になれると確信を持ててやっているわけではないのかもしれない。

ある意味では苦しみがあるのは仕方がないとあきらめている、あるいは、
根本動機は生きる事そのものが分からないから、と言うものではないかと思います。

実はこの物質世界とは思いが実現しにくいと言う特性を持っていますが、
その特性が手助けするような形で発生していると思います。

では、悟りとはどんなものかというと、
簡単に言うと今述べたようなことがその人にとってどうでもよくなってしまうということです。

答えを見つけたわけじゃない、疑問そのものがどうでもよくなってしまった。

単純に言えば、迷いがあり疑問があり生きている人がいる、それに対して、
何も考えないで気にならないで生きている人がいる、人間から迷い苦しむ機能が無くなってしまった、
悟りとは、つまり、そのようなものでした。

それは決して「知ったり」「分かったり」「理解」したりすることではありません。

もし、精神世界の心地よさがほしい人は、精神世界に行った方が良い、束の間ここちよく、
その後苦しさが襲ってくる繰り返し、束の間の娯楽ビデオの鑑賞を楽しむような気分で精神世界に酔う事を楽しんでいればいい。
ただその人たちの本心が求めていることはその状態ではないので、やがてそれ自身が苦しくなってくるのだろうと思います。

私が話しする事など、何ら変わったことではありません、
昔の人が当たり前に使いまわした言葉をそのまま同じに話しするだけですから。

苦しみ、努力、我慢、忍耐、厳しい、これらは昔から人間を作る上で必要なものとされてきたと思います。

私の話しするのもこれだけです。

全然変わってないですよね。

そして、何の事は無い、これを積み重ねる事が悟るための方法なのです。

(長いので続きます)


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