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雑談スレ その8

436名無しさん:2014/10/09(木) 20:13:48 ID:OGjLMuPM0
ID:4Ns6wd1Y0=メサイア・コンプレックスじゃね?w


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「人類を愛する人」とはつきあわないこと。
愛を唱えている人は、必ずしもやさしい人ではない。
たいていは残酷で冷たい人であることのほうが多い。
カルト集団などが社会的な問題を起こすと、
「彼らの現実感覚がおかしい」とか、「現実感覚がない」とか、
「現実感覚が歪んでいる」とか言われる。
この、現実感覚が希薄なのは、
周囲の人とコミュニケーションができていないからである。
現実感覚の希薄さは、人とふれあえないというところから来ている。

たとえば、「愛する」という言葉を使うときに、
現実感覚の希薄な人と現実感覚のある人とでは違う。
現実感覚の希薄な人は、「私は人類を愛する」という正義の言葉を言う。
しかし、現実感覚が希薄だから隣人は愛せない。
若い頃、「人類を愛することは簡単だけれど、隣人を愛することは難しい」という言葉を読んで、いい指摘だなと思った。
コミュニケーションできない人は「人類を愛する」のである。
しかし決して隣人は愛さない。
いや、隣人を愛する能力はない。
「人類を愛する」人は冷たいが、「隣人を愛する」人は優しい。


「悩んでいる人を救いたい」などというと、すごく優しい人に思える。
しかし、必ずそうではない。
「メサイヤ・コンプレックス」と呼ばれているコンプレックスがある。

それは「自殺未遂でもやらかしかねない位悩んでいる人が、
悩んでいる他人を救いたがるようなことである。

そこには、自殺したいほどの劣等感と、
世界の悩める人を救いたいという非現実的なほど高い願望が共存している。

もちろん、この「非現実的な願望」は深い劣等感の裏返しである。

他の本でも書いたが、人は自分の心の問題を、
他人を巻き込むことで解決しようとする場合がある。
しかし私がそのたぐいの人たちに言いたいのは、
「まず救われるべきは他人なのか、それとも自分か」ということだ。
人は自分ひとりでも生きていけてはじめて、他人を助けることができる。

劣等感が「悩める人を救うという仮面」をかぶって登場すると、
周囲の人は迷惑する。

こういうたぐいの人は、「自分は優れている」と思いたいのだ。
無力感を解消したい。
だから感謝されたり、高く評価されたりすることで自分の存在価値を確かめたい。
「悩める人類を救う」という行動の動機は、
たいてい自己不在とか自己無価値感である。
こういう形の「善行」は周囲の人にはやりきれない。


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そっくりID:4Ns6wd1Y0に当てはまるw
謎がとけた
ID:4Ns6wd1Y0のスポーツを勝たせたいや世界平和は深い劣等感の裏返しで

残酷で冷たい人でもあり、人と触れ合えない極度のコミュ障害だったんだw




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