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創価・日蓮系統の議論スレ

225沖浦克治:2017/01/12(木) 07:03:08

 私や貴方方個々人の立派から更に考察致します。

 自分の事を仏法では正報と云います。
 その正報である自分を取り巻く一切の環境を、依報、と名付けます。

 『夫十方は依報なり衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし身なくば影なし正報なくば依報なし又正報をば依報をもつて此れをつくる』
 (瑞相御書)

 最後の正報を依報がつくるとの思想は、現代の物理学や天文学をリードするものですが、又の機会に譲ります。

 依報は影であって正報が本体、正報がないなら依報は存在しない。

 ですので、正報である衆生(私共)が本、囲む環境である依報が迹。
 個々人に訳すなら、個人と云う存在がその方にとって本、囲むすべての環境は依報で迹。

 人間関係に限定して述べるなら、例えばAさんと云う方がおられるなら、Aさんだけが本、他の私共は迹。

 自明の理です。
 当然Aさんを囲む人間関係には、師匠である池田先生や同士である私どもも一切含まれます。

 若し大聖人と同じ時代で四条金吾から見ると、大聖人も迹になります。
 これは大聖人を軽んじるとかと云うレベルの事ではなく、依正から見るとそうなると云う事。

 四条金吾を私や他の方々に変えても同じですね。
 所が、ダメな方々もおられて、

 沖浦は自分が本仏で大聖人が迹仏だと云った!!

 愚かなものですね。
 頭破七分です。

 私はそう云う事は一言も云いません。
 当時御本仏は大聖人お一人と常に書いております。

 現在は機根が整い始めたので、少々発言に変化がございます。
 ですが大聖人を尊敬し奉り事には変化はございません。

 結論です。

 自分にとって自分が世界の中心にいる!!
 自分がどこまで云っても本!!
 自分の人生に主役は自分一人!!

 ここがわからないと虚しいですね。
 折角の創価人となった意味が薄れます。

 本迹って、人生の勝利に大事な大事な概念ですよ。
 迷ってる場合ではございません。


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