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STUDY 澍 甘露法雨・滅除 煩悩焔(9)
1
:
伊雑 太一 (イザワ タイイツ)
:2012/10/12(金) 01:06:20
(人間)
人間の五官は ただ『映しの世界』を見るに 過ぎず。『映しの世界』を 浄(きよ)めんと 欲(ほっ) すれば
心の 原版(げんばん) を 浄(きよ) めて 迷いの 汚点(おてん) を 除(のぞ)かざる べからず 。 (←※ 除くべし)
われ 誠に 物質の世界の 虚(むな)しき を見たり、 物質の世界が 影に 過(す)ぎざることを 見たり。
われは また【人間】が【神より放射されたる光】なる事を 見たり。
肉体は ただ 心の 影なる事実を 見たり。 (←※ 唯心 所現)
汝ら、物質は 移りかわる影 にすぎざること 恰も(あたかも) 走馬灯(そうまとう) に走る馬 の 如し(ごとし)。
されば、影を見て 実在となすこと なかれ。
人間真性(人間そのもの) は これ神人(しんじん)、 永遠【不壊(ふえ) 不滅(ふめつ) の霊体】にして
物質をもって 造り固(かた)めたる機械にあらず、また物質が 先ず(まず)存して それに霊が宿りたるものにもあらず、
かくの如き(ごとき) 二元論は 悉く(ことごとく) 誤(あやま)れり。
物質は 却(かえ)って これ 霊(れい) の 影、 心の 産物(さんぶつ) なること、
恰も(あたかも) 繭(まゆ) が 先ず 存在して 蚕(かいこ) が その中に宿るには 非ず(あらず) して、
蚕(かいこ) が 先ず 糸を 吐(は) きて 繭(まゆ) を作り 繭の中にみずから蚕(かいこ)が宿る が如し(ごとし)。
人間の 真性(しんせい) は 先ず【霊なる生命】にして 心の糸を 組み合せて 肉体の繭(まゆ) を造り
その繭(まゆ) の中に われ(←※ わが魂) と 吾が霊(←※【生命】本体) を 宿らせて、
はじめて 霊(ことば) は 肉体となる なり。 (←※ 息返り・蘇生(そせい) の、秘訣)
汝ら 明らかに知れ、繭(まゆ) は 蚕(かいこ) に 非(あら)ず、 然(しか)らば【肉体は 人間に非ず】して、
人間の繭(まゆ) に 過(す)ぎざる なり。
時 来(きた)らば 蚕(かいこ) が 繭(まゆ) を 食い(くい) 破って 羽化登仙(うか とうせん) する が 如く(ごとく)、
人間もまた 肉体の繭(まゆ) を食い破って 霊界に昇天せん。 (←※ 変性・アセンション。次元 上昇)
汝ら 決して肉体の死滅をもって 人間の死と なす勿れ(なかれ)。人間は【生命】なるが故に【常に】死を知らず。
想念(こころ) に 従い(したがい) 時に従い 必要に従いて 肉体と 境遇(きょうぐう) とに
様々の状態を 顕(あらわ)せども、
【生命そのもの】は 病む(やむ) に 非ず(あらず)、 【生命そのもの】は 死するに 非ず、
想念(こころ) を変うることによって よく汝らの 健康と境遇とを 変うること自在なり。(←※「般若心経」に同じ)
されど 汝ら、 ついに【生命】は 肉体の繭(まゆ) を 必要とせざる時 至(いた) らん。
かくの如きとき、 生命は 肉体の繭を 食い破って 一層 自在の 境地(きょうち) に 天翔(あま かけ) らん。
これをもって 人間の死となす なかれ。人間の【本体は生命なる】が故に 【常に】死すること あらざるなり。
―― かく 天使(天の使い) 語り給うとき、 虚空(こくう) には 微妙(みみょう) の 天楽(てんがく) の声 聞(きこ)え
葩(はなびら) は 何処(いずこ) より ともなく 雨ふりて、
天の使いの 説き給える 真理をば (←※ 実相 微妙の法門。 無上 甚深 微妙 法)
さながら 称(たた) うる ものの 如く(ごとく) なりき。
(聖経 終)
願わくは 此の(この) 功徳(くどく)を 以て(もって)
普(あま)ねく 一切(いっさい) に 及(およ)ぼし、
我等(われら) と 衆生(しゅじょう) と 皆(みな) 倶(とも)に
実相を 成(じょう)ぜん ことを。
2
:
伊雑
:2012/10/12(金) 09:21:55
ご承知のとおり 雅春先生を学ぶ会「繁栄と幸福の基」は【先祖供養にあり】。
「聖経 甘露の法雨」
ご供養 ―― 水上勉 著『足もとと提灯(ちょうちん)』に、下記ような話があるのは
みなさま 御承知のとおりです。(古書1円〜、アマゾンで) 以上
記
「わずか30戸足らずの漁師村に、破れ寺があり【25歳の若い住職が来た】。
彼は家々の過去帳を手に、【毎日その日が命日にあたる先祖を供養して】廻った。
初めは馬鹿にしていた村人も、5年も経つと、米を喜捨し、食事を振舞うようになった。
昭和15年、この村の漁師達が沖に仕掛けた網が破れるほどに、大量の鰤(ぶり)が掛かり、
村人は1日にして巨万の富を得た。他の村は不漁なのに何故だろうと考えた時、
きっと【あの住職が家々の先祖を1日も欠かさず供養してくれた】お陰に違いない
ということになり、みんなで立派な山門や庫裏(くり)、本堂を建てて、和尚に感謝した」 と。以上
3
:
伊雑
:2012/10/14(日) 16:15:46
25歳。 自分のばあい、34年前がその年齢です。
20年前、さんざんな体験を転機に、唯物主義の見地を はなれました。
そうして 『霊』 実在論をみいだし、今とても しあわせ です。(以上)
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