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STUDY 澍 甘露法雨・滅除 煩悩焔(7)

1伊雑 太一 (イザワ タイイツ):2012/10/11(木) 21:57:01
人間

吾(われ)は『真理』なり、
『真理』より 遣(つか)わされたる 天使(天の使い)なり。
『真理』より 照りかがやく『光』なり、 迷いを 照破(しょうは)する『光』なり。
(↑※ 吾は『光』。【形態】形体、無し。)

吾は『道』なり、吾が(わが) 言葉を行うものは 道にそむかず。

吾は 生命(いのち) なり、吾に 汲(く)む者は 病(や)まず 死せず。

吾は 救いなり、吾に頼む(たのむ)者はことごとく これを摂取(せっしゅ) して
実相の国土に 住(じゅう) せしむ。

天使(天の使い) かくの如く(ごとく) 説き給えば 天の童子 また重(かさ)ねて 問う。
『師よ、【人間の本質】を明らかに なし給(たま)え。』 天使(天の使い) 答え たまわく ――

人間は 物質に非ず、肉体に非ず、 脳髄(のうずい) 細胞に非ず、 神経細胞に非ず、
血球に非ず、 血清(けっせい) に非ず、 筋肉細胞に非ず。
それらすべてを 組み合わせたるものにも非ず。

汝ら、よく【人間の実相】を 悟る(さとる) べし、 人間は霊なり、
生命(せいめい) なり、不死(ふし) なり。 (←※ 久遠(くおん) 生命 なり。)

神は 人間の 光源(光のみなもと) にして 【人間は 神より出(い)でたる光】なり。
【光】の無き 光源(こうげん) は なく、 光源(こうげん) の無き【光】はなし。
光と 光源(こうげん)とは 一体なるが如く 【人間と神】とは 【一体なり】。

神は 霊なるが故に 人間も亦(また) 霊なるなり。
神は 愛なるが故に 人間も亦(また) 愛なるなり。
神は 知恵なるが故に 人間も亦(また) 知恵なるなり。

霊は 物質の性(せい)に 非(あら)ず、 愛は 物質の性(せい)に 非ず、 知恵は 物質の性(せい)に 非ず、
されば、【霊なる 愛なる 知恵なる 人間】は、物質に何ら 関(かか)わるところ なし。

【まことの人間】は、霊なるが故に、愛なるが故に、知恵なるが故に、生命(せいめい) なるが故に、
罪を犯(おか)すこと 能(あた)わず、病(やまい)に かかること 能わず、死滅すること 能わず、

罪も、病も、死も、畢竟(ひっきょう) 汝らの悪夢にすぎず。

汝ら 生命の実相を自覚せよ。【汝らの実相】たる『真性(しんせい) の人間』を自覚せよ。
『真性の人間』は【神人】(しんじん) にして 【神そのまま】の姿なり。

滅(ほろ)ぶるものは『真性の人間』に非ず。 罪を犯すものは『真性の人間』に非ず。
病に罹る(かかる) ものは『真性の人間』にあらず。 (←※ 実相人間は 金剛・不壊(ふえ) 身なり)

地上の人間よ、われ 汝らに 告ぐ(つぐ)、【汝ら自身】の 本姓(ほんせい) を自覚せよ。
【汝ら自身】は『真性の人間』にして、 そのほかの 如何(いか)なるものにも 非ず(あらず)。

されば 人間は 真理の眼より見る時は 罪を犯す事 能(あた)わざるものなり、
病に 罹る(かかる)事 能わざるものなり、 滅(ほろ)ぶること 能わざるものなり。

誰か云う『罪人(つみびと) よ、罪人よ』と。

【神は 罪人を 造り給わざる】が故に 【この世に 一人の罪人も あらず】。(←↓※ 唯観 実相。神想観)
罪は【神の子の 本性(ほんせい)】に反す、 病は【生命それ自身の 本性】に反す、
死は【生命それ自身の 本性】に反す、

罪と病と死とは、畢竟(ひっきょう) 存在せざるものを 夢中(むちゅう) に描ける 妄想(迷いの 影) に 過(す)ぎず。

実相の世界に 於て(おいて) は 【神と人】とは【一体なり】、
神は 光源(こうげん) にして 【人間は 神より出(い)でたる 光】なり。 (つづく)

2伊雑:2012/10/14(日) 16:32:35

 (ポイント) 【人間の本質】 人間は 『霊』 なり。 (←※ 霊 実在 論) 以上


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