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うのはなさんを褒め称える板

708シャンソン:2020/11/11(水) 12:05:39
     人は誰でも幸せになる権利がある

江原 誹謗中傷の書き込みは、見方を変えれば書き込む人のたましいのSOS
だともいえます。生きづらい、苦しい、寂しいという。そこへ若手の女子プロレスラーの件のように、相手を死に追いやってしまったとなると、
さらに不幸を背負うことになる。私はそれが心配です。

鈴木 江原さんは、もしもそういう人から相談を受けたら、どんなアドバイスをするのですか?

江原 自分と正面から向き合いなさいと言うでしょうね。書き込んだコメントを消したところで、元には戻らない。
心から故人のたましいに謝る。それから、そんな書き込みをしてしまった自分の不幸さをちゃんと見つめなきゃいけないよ、と。
そして幸せにならないとダメだと伝えます。人はいつからでもやり直せるんですから。

鈴木 そうですね。人はいつ、いかなる時にも幸せになる権利が与えられているのです。やはり信仰心を備えることの大切さを思います。
私たちが人生の中で道に迷った時にも、神様は心が荒れ果ててている自分ですらとことんわかっていてくれると理解すること。
赦して、受け入れて、身をもって力を与え続けてくださるのだと信じられれば、簡単ではないけれど、きっと立ち直れると思うのです。

江原 SNSでバッシングをする人に限らず、ともすれば誰もが過ちを犯してしまうわけですが、神はいつの時も寛大です。
新約聖書に出てくる「放蕩息子のたとえ話」を思い出します。ある人に二人の息子がいて財産を分けたのだけれど、弟のほうはさっさと家を離れ、遠い国へ旅立って放蕩をして
財産を使い果たしてしまった。その後、父の元へ帰ったところ、父は叱るどころか息子が帰ってきたと祝宴を開いたという。

鈴木 あの話を通じてイエスが伝えたかったのは「神の愛の大きさ」です。
父と神のこと、そして放蕩息子は神に背を向けて暮らす人間を示しています。
息子は旅に出たために財産、家庭の温かさ、健康、信頼などたくさんの物を失いましたが、
「父の愛」だけは失いませんでした。神様はどんなに道徳心に背いた人であっても、
もう一度やり直したいと思う人のことは祝福してくださる。そう頭の片隅において、
何があっても「自分はもうダメだ」などと思わないで欲しいですね。

どんな時でも人間らしく蘇ることができると覚えておくことが心の支えになります。

    『日本人の希望』 鈴木秀子・江原啓之 著


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