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うのはなさんを褒め称える板
261
:
シャンソン
:2019/07/02(火) 19:18:20
母と歌ったおもちゃのチャチャチャ (埼玉県 田村幸介)
「おもちゃのチャチャチャ」それは二度目の産声でした。
一九九一年、三才の僕はお風呂場で頭をぶつけ意識を失い病院へ緊急搬送されました。
脳内の血管が損傷しており手術は困難を極め、僕が手術室から出てきたのは手術開始から七時間も経ってからのことだったと
聞いています。
僕は一命をとりとめましたが意識は失ったままでした。
両親は手術を担当した先生から、僕は目覚める保証はないということ、
目覚めたとしても後遺症が残るか最悪の場合は一生、植物状態もありえると宣告されたそうです。
そして、その言葉通り僕は数日間、意識を取り戻すこともなく眠り続けました。
来る日も来る日も目を覚まさない僕の隣には両親や親戚が代わる代わる寄り添い続けてくれていました。
それでも僕は眠り続けたままでした。そんなある日、母親が僕の手を握りながら当時、僕が大好きだった「おもちゃのチャチャチャ」を歌って
くれていました。
もちろんハッキリと覚えているわけではありませんが、そのとき母親の歌う「おもちゃのチャチャチャ」が聞こえてきた気がしました。
そして、それまでなんの反応も示さなかった僕が小さな声で「おもちゃのチャチャチャ」を歌い出したそうです。
その後の僕の回復のスピードは病院の先生達も驚いていたそうです。
今年で僕も二十六歳になりました。自覚のある後遺症はひとつもありません。
しかし残念ながら両親は離婚してしまい僕と母親は他人になってしまいました。
だけどあの日、母親と一緒に歌った「おもちゃのチャチャチャ」は僕の二度目の産声だと思っています。
今はもう離れ離れになってしまったけれど、あのとき「おもちゃのチャチャチャ」を歌ってくれた母親は
一生、僕の母親だと思っています。
『「言葉の力」を感じるとき』 京都 柿本書房
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