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トキ管理人の悪口を書く板

211神の子様:2018/11/28(水) 20:18:23
質問者 テレパシーのような能力を得るのは良いことではありませんか?

ラマナマハルシ テレパシーやラジオは遠くのものを見たり聞いたりすることを可能にする。 それらは見ることと聞くことという点においては同じである。

近くの音を聞こうと、遠くの音を聞こうと、聞く人にとっては違いはない。 基本的な要因は聞く人、主体にある。 聞く人あるいは見る人がいなければ、聞くことや見ることはありえない。 知覚とは心の機能である。

超自然的な力(シッディ)は、それゆえ心のなかにしか存在しない。 それは真我にとって生来のものではなく、あとから獲得されたものは永遠ではない。 したがって、努力して獲得するだけの価値もないのである。

シッディとは能力が拡大されたものだ。 限定された能力をもつ者は不幸である。 それゆえ、幸福になるために能力を拡大しようとするのである。 だが、本当にそうなのか考えてもみなさい。 もし限定された能力のために不幸だというのなら、能力が拡大するにしたがって不幸も拡大するはずである。 超能力は幸福をもたらすのではなく、人をより不幸にするのである。

しかも、何のための能力なのか? 超能力者になろうとする人は自分の力を他の者たちに誇示して、賞賛を求めているのであり、賞賛が得られなければ幸福にもなれないだろう。 そしてそこには彼を賞賛する他者の存在も必要とされる。 彼は自分より高い能力をもった者に遭遇することさえあるだろう。 それは嫉妬を生みだし、さらに不幸を招く。




どちらが本当の力だろうか? 虚栄を満たす力か? 平和をもたらす力か?

平和をもたらすもの、それが最高の成就(シッディ)である。

真我は最も内奥の永遠の存在である。 その反対にシッディは異質なものである。 シッディは努力によって獲得されるが、真我はそうではない。 超能力は鋭敏な心で追求されるが、真我は心が破壊されたときに実現される。
超能力は自我があるときだけ現れる。 真我は自我を超えており、自我が消去されたあとにのみ実現される。

※本当の心の破壊(ナーシャ)とは、真我を離れて心は存在しないと認識することである。


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