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トキ管理人の悪口を書く板

206神の子様:2018/11/28(水) 20:13:48
ラマナ・マハルシに、ある女が尋ねた。「私は教養がなく、聖典を読んだこともない。こんな私でも真我を実現(悟りを開くこと)できますか?」

マハルシ
「勿論できます。
自分に対し、私、私・・・と心の中で言い続ければ良いです。そうすれば真我を実現できます。
「私」は、あらゆる想念の源です。いかなる想念にも、まず、「私」という想念が先立ちます。
どんな想念も「私」に起こるからです。
その「私」に意識を集中すれば、どんな想念も起こらず、やがては、「私」という想念も破壊される。

それが自我の終焉であり、真我の実現です。」

体験Experience ラマナマハリシ
真理に段階はない。 個人の体験に段階はあっても真理に段階はない。 体験が何であろうとも、体験者はひとりであり、同じである。 真我は確かにすべての人の直接体験のなかに在る。
だがそれは想像されたようなものではない。 それはただあるがままに在る。

サマーディ(三昧・さんまい)

シュリー・ラマナマハルシはさまざまなサマーディを以下の三つに分類している。
1.サハジャ・ニルヴィカルパ・サマーディ sahaja nirvikalpa samadhi 自然無分別三昧
これは自我を完全に、二度と現れることのないまでに消し去ったジニャーニ(真我を実現した人)の状態である。 サハジャは「自然」を意味し、ニルヴィカルパは「違いのない」を意味している。 この状態にあるジニャーニは、普通の人々のように世界のなかで自然に機能することができる。 彼は自分が真我であることを知っているため、サハジャ・ジニャーニは彼自身と他の人々との間にも、彼自身と世界との間にも違いを見ない。 そのような人にとってはすべてが分割不可能な真我の現れなのである。

2.ケーヴァラ・ニルヴィカルパ・サマーディ kevala nirvikalpa samadhi
これは真我実現の前の段階である。 この状態のなかには、一時的だが努力を要しない自己覚醒がある。 しかし、自我が完全に消去されたわけではない。 この状態は身体意識の不在によって特徴づけられている。 真我の一時的な自覚はあっても、この状態では感覚的情報を知覚することはできず、世界のなかで機能することもできない。 そして身体意識が戻ったとき自我も再び現れる。

3.サヴィカルパ・サマーディ savikalpa samadhi 有分別三昧
この真我の自覚の状態は不断の努力によって保たれている。 このサマーディの継続性は、それを維持するために注がれる努力に完全に依存している。 自己留意が揺らぐとともに真我の自覚は妨げられてしまう。

意識の状態

1.実在をとらえていることがサマーディである。
2.実在を努力とともにとらえていることがサヴィカルパ・サマーディである。
3.実在のなかに溶けこみ、世界に気づかないままとどまることがニルヴィカルパ・サマーディである。
4.無知のなかに溶けこみ、世界に気づかないままとどまっていることが眠りの状態である。
5.原初の、純粋な、自然な状態のなかに努力を要せずとどまっていることがサハジャ・ニルヴィカルパ・サマーディである。


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