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トキ管理人の悪口を書く板

201神の子様:2018/11/28(水) 19:49:50
輪廻転生

比丘たちよ、私はまだ正覚を成じなかった時、かように考えた。まことに、この世は苦の中にある。生まれ、老い、衰え、死し、また生まれ、しかも、この苦を出離することを知らず、この老死を出離することを知らない。まことに、いずれの時にか、これらの出離を知ることができようか。  

                                 『雑阿含経』

人の世の無常を感じ、出家した釈尊(ゴータマ・ブッダ)が6年の修行遍歴の間、何を考えていたのかというと、生まれ、老い、死し、また生まれるという、この繰り返しからどうすれば離れられるであろうかということであった。それが彼の出家修行における最大のテーマであったことを弟子(比丘)たちに語っているのであるが、そこには、当然のことながら、幾多の生涯に亘って生死の流れを無益に経巡ってきたという、彼自身の反省があったからだ(たとえそれが、悟りを得た時、明瞭になったとしても)。もちろん、無益に生々死々を繰り返してきたのは釈尊だけではなく、われわれもまた、生まれてくるということがどういうことか、あるいは生まれてきたことは仕方ないとしても、今、何をなすべきかを知らず、ただ徒に生まれ、徒に死を繰り返しているのだ。

  広刧多生のあいだ、いくたびか徒に生じ、徒に死せしに、まれに人身を受けて、たまたま仏法にあえるとき、この身を度せずんば、何れの生にかこの身を度せん。 

                                『正法眼蔵随聞記』

道元は「広劫多生」と言うが、とりわけ「多生」という言葉が問題である。なぜなら、われわれは普通、人生は70年、80年で、「一生」と考えるが、明らかに道元はそうではなく、幾多の生涯に亘って生と死を繰り返してきたということで「多生」と言う。しかも「広劫」であるから、われわれ人間は始めとて分からない遠い過去から、いくたびか徒に生まれ、徒に死を繰り返して来たというので「広劫多生」なのだ。

  広刧多生のあいだにも

出離の強縁しらざりき

本師源空いまさずば

このたび空しくすぎなまし

               親鸞『高僧和讃』


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