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トキ管理人の悪口を書く板
200
:
神の子様
:2018/11/28(水) 19:46:50
私は幾多の生涯にわたって、生死の流れを無益に経巡ってきた。 (『ダンマパダ』153)
私とは、仏教の開祖である釈尊自身(前463〜383頃)を指している。29歳で出家し、六年の修行の末に悟りを開いたとされる彼が、やがて人々に法(真理)を説く旅に出、自らの過去(正しくは、過去生)を振り返って語られた言葉の内容は意外なものであった。というのも、釈迦族の太子として生まれた彼が、これまでにもいろんなものに生まれ(人間とは限らない)、何度も生と死の苦しみを味わってきたと言うのだ。しかも、無益に生死の流れを経巡ってきたと言うのだから、単に自分の過去の所業を反省するというだけではなく、それ以上の何かがあろうことは容易に察しがつく。
ところで、われわれは生を「一生」と考えるが(ある意味でそうなのだが)、釈尊は「幾多の生涯」と言い、しかも「あの生涯、この生涯と繰り返すのは苦しいことである」と。もちろん、われわれも例外ではなく、始めとて分からない遠い過去から、いくたびか徒に生まれ、徒に死を繰り返してきたのであるが、その自覚もないまま生死輪廻していることをわれわれに知らせんがために、釈尊は自らの出自を語って聞かせたのであろう。
すると、当然のことながら、生死の流れを無益に経巡っているわれわれが目指すべきは、生死を離れ、この流れを如何にして渡るかということになろう。それは『歎異抄』に「われもひとも、生死を離れんことこそ、諸仏の御本意にておわしませば」とあることからも明らかである。そして、この生死の流れを渡ったところを仏教は涅槃と呼ぶが、過去に輩出したであろう数多の覚者(仏)たちは、空しく生死の波に翻弄されるわれわれを生死の世界(サンサーラの世界)から涅槃の世界(ニルヴァーナの世界)へと連れ戻そうとしていたのだ。
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