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トキ管理人の悪口を書く板
197
:
神の子様
:2018/11/28(水) 19:30:07
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。
(『ダンマパダ』1)
『ダンマパダ』(一般に『法句経』と呼ばれている、ブッダ・釈尊の初期経典の一つ)の冒頭を飾るこの文章の中に、人間存在の基本原理が簡潔に表明されている。ものごととはわれわれが毎日経験し、また目にしている生死・善悪・愛憎・快苦・幸不幸・得失・・・の悲喜劇すべてをいう。そして、よくも悪くも、これら連綿と続く二元性の世界はわれわれ自身の心から生じてくる。取り分け意外に思われるかもしれないが、生と死さえ心より起こるのだ。しかし、仏教はこの二元葛藤する世界にあって、如何にうまく世渡りをし、生き延びるかなどを説いているのではない。むしろ、これら二元性の根底にある心に誑かされ、どちらにも執着してはならないと教えているのだ。つまり、中道を歩むことによって、二元性の世界(生死の世界)から一元性の世界(涅槃の世界)に渡る方法を説いている。
さらに黄檗が「一切の諸法は皆心に由って造られ、乃至、人・天・地獄、六道修羅も尽く心に由って造られる」と言ったように、心は天国から地獄までも作り出すが、夢(心が投影したもの)に実体がないように、いずれも虚妄の世界であり、人間界もその一つに過ぎないのだ。だからと言って、釈尊をはじめ、古の聖賢たちは、虚妄の世界(生死の世界)を離れたどこかに真実の世界(涅槃の世界)を求めたのではない。要は、生死が心より起こるのであれば、心が消え去るならば、生死をはじめとする二元葛藤する虚妄の世界はあるだろうかということだ。果たして、心を除き、真理に目覚めた覚者たちの目に、この世界はどのように映っていたのであろう。その一人、空海は言う。「眼、明らかなれば途に触れて皆宝なり」と。
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