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トンチンカン信徒様専用版
131
:
神の子様
:2016/12/25(日) 16:05:20
*谷口雅春先生が説かれた生長の家の教えは、臨済宗の老師の立場から見ても、誠に優れた教えであり、臨済宗の悟りの境地と同じである。
*「法灯継承」をしたと認められても、無批判で信徒が服従する義務はない。自分は老師だが、実際、周囲から自分の言動に対して激しい批判を受ける場合もあるし、それを受け入れる義務もある。
*「法灯連綿」をしたと師匠から認められても、「老師」は終身不動の資格ではない。開祖の教えから逸脱した事を説いた場合は「邪見」とされ、自分から「法灯継承」の地位を辞するか、または、辞職をしない場合は宗派から資格を剥奪されるのが通常である。
*「法灯連綿」とは、「人」に帰依するのではなく、教えに帰依することを意味するのである。開祖の教えを忠実に後輩に伝えるのが任務である。
教えは月を指す指、その先に悟りを得る、その人間が邪見を説くはずもない、悟りの印可を資格で終身のものでないという。
開祖の教えを忠実に後輩に伝えるのが任務である、なんて云う御仁は悟りには何の関係もない御仁です。
教えに帰依する、指と月の区別のつかない人間の戯言でしょう。よほどの人で一生に数人に法を伝えられるだけで、一人に法を伝えられれば良いとしたものです。神想観の仕方は月を指す指、神想観しても実相に到る人は僅かです。『吾今五官の世界を去って実相の世界に入る』と唱える心が本心にぴたりと一つになり、目を開いた後実世界に其の儘いる人には、生長の家で逢ったことはありません。
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