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傍流まじめな話版

1738シャンソン:2019/11/01(金) 20:40:21
  自分は継承者、先代から引き継いだバトンをつなぐだけ
  
         安部修仁 吉野家ホールディングス会長

 二〇一四年八月末に吉野家の経営から完全に退きました。
 持ち株会社の会長にはとどまっていますが、経営にノータッチです。(一四年一二月に)
牛丼を値上げした時も、現経営陣からは決定した後に報告があっただけ。今は吉野家の本社から離れて、
事務所を借りています。

 一九九二年に社長に就任した時から、自分は継承者なんだとずっと思ってきました。今振り返ってみても、この観念は不思議なくらい強い。
何よりも吉野家の牛丼が好きだったし、創立者の松田瑞穂さん、会社更生時の管財人である弁護士の増岡章三先生など、ものすごく魅力的な人たちが作り出したものを
受け継いだ。自分はジョインターとして、次にバトンをつなぐ。そのことだけは間違えちゃいけないという思いがありました。

 社長になると自分のカラーを出そうとして、前任者がやってきたことを否定する人がいますよね。それって感謝がないというか、先代に対する恩義を感じない。自分の美意識からすれば、そういう醜いことはしない。先代が作り上げてきた
固有のものを、絶対に残さないといけない。そこに僕なんかはほれたんでね。それを作り上げる仕組みや人間集団の営みがものすごく心地よい。ただ、時代の変化に合わせて変えるべきものもある。では何を基準にするか。それは短期的な利益ではなく、少なくとも三年後とか
五年後の未来にその判断がどのように評価されているのか。その視点で選ぶべきでしょう。

 目先の刹那的な評価を優先するより、今我慢しておけば将来振り返った時に従業員の自負とか誇りになる決断だってある。一時的には社会的な批判を受けたとしても、世間様もいつかは理解してくれる時が来る。そのような判断を下すことが継承者の役割なんですよ。
二〇〇三年末にBSE問題で米国産牛肉が輸入停止となった時も厳しい決断を迫られました。当時の吉野家は牛丼のみの単品経営でしたが、米国産牛肉を使えなければ吉野家の味は出せないと判断して、豚丼を売りました。他社がオーストラリア産牛肉で牛丼を売っていたので「吉野家でも作れるだろう」というご指摘も受けました。
確かに、単に牛丼という形状の商品を食べたいのなら、どこにでもあるでしょう。ただ、素材が違うとタレの構成成分も変えないといけない。そうすると当然、味が変わる。ということは、ウチのお客さんの期待を裏切ってしまうことになる。

 吉野家のお客さんはヘビーユーザーばかりです。お客さんの中には「吉野家の味」というものがあって、そのことが今日の来店に結び付いている。だからこれまでとは異なる牛丼をヘビーユーザーに提供したら、「違う」と言われてしまう。もしかしたら怒り出すかもしれない。それでも、それこそが吉野家のお客さんだし、僕らもそこに誇りを持ってきた。
あの一件で、牛丼に対する吉野家の思い入れが消費者に広く伝わったと評価してくれる人もいます。でも、それは結果論でしかない。あくまでも先代から脈々と受け継がれてきた吉野家に対するお客さんの期待がある。それに応えるのが第一義であり、継承者である僕の使命だったのです。

    『人を動かす最高の言葉』 日経ビジネス編


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