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傍流まじめな話版

1718シャンソン:2019/07/13(土) 15:18:17
  妙な理屈をこじつけなければ邦人救助もできない

 東ティモール民主共和国は、東南アジアの共和制国家です。
1999年、国連主導の住民投票によりインドネシアの占領から解放され、2002年に独立しました。
私が行ったときのことではないのですが、自衛隊がPKOで派遣されている間に、東ティモール・ディリ市内で暴動が起きて、
日本食レストランの調理人から「助けてくれ」と自衛隊に要請がきました。

 しかし、これもやはり武器使用の権限がないため助けに行くことができません。そこでどうしたかというと、「あれ?たまたま隊員が休暇で外出している」
「じゃあ、あいつを迎えに行こう」という設定で迎えに行ったのです。
そこでさらに、「あれ?車に座席の余裕があるね。じゃあついでにレストランの調理人も乗せていこう」という設定を加えて、その調理人を助け出したのでした。

こういう妙な理屈をこじつけて、現場は乗り切っていました。政治はこうした無理を、いままでずっと現場に押し付けてきたのです。
平和安全法制の整備以前に、自衛隊が体験したジレンマはまだまだあります。南スーダンは、アフリカ大陸東部のスーダン共和国から独立しましたが、その後も対立が続いて治安が悪化。
自衛隊のPKOは2012年に派遣され、道路などのインフラ整備を行い、17年に撤収しました。

 そこで、南スーダン軍の工兵部隊が道路工事をやるために、自衛隊に建設機材の使い方を教えてほしいと言ったとします。
自衛隊は高い技術を持っていますので、その思いは当然です。でも、当時の法律では他国軍の支援はできませんでした。いくら工兵部隊や医療部隊に技術を教えたいと思っても、国軍への支援はできないのです。
また私が派遣されたシリアのゴラン高原では、ほかの部隊と一緒に宿営していました。

 同じキャンプの中に何個かの部隊があったのです。しかし当時の法律では、自衛隊の武器使用が限定されていたため、共同警備ができません。その頃ゴラン高原では、周りはカナダの兵站部隊(戦闘地帯より後方に置かれ、軍の補給、連絡線の確保などにあたる部隊)でした。
カナダの兵站部隊と自衛隊とでは明らかに自衛隊のほうが強い部隊です。しかし、自衛隊が他国軍のために共同で警備をすることはできませんから、警備はカナダの兵站部隊が行うことになります。もしも、カナダの兵站部隊がやられてしまったら、自衛隊もやられてしまうという状況は、
そこにいる誰もがおかしいと思っていました。はじめから一緒に宿営地の周りを警備したほうが理にかなっていますからね。

 南スーダンでも、ルワンダ軍どバングラディシュ軍に守ってもらって、その後ろに自衛隊がいるのですが、一緒に守ったほうが圧倒的に合理的でした。国際社会の一員として、「自分さえよければそれでいい」のではなく、自分たちの持てる能力の範囲内で、しっかりと貢献していくことが必要だと思い知らされました。
このジレンマを解消するのが平和安全法制における、「国際社会の平和・安全」に関する部分の最大の目的です。

 『高校生にも読んでほしい平和のための安全保障の授業』 佐藤正久 著


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