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神の子様
:2021/05/25(火) 21:03:59
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トップ昭和の名曲『神田川』――歌詞の「横丁の風呂屋」は一体どこにあった?
昭和の名曲『神田川』――歌詞の「横丁の風呂屋」は一体どこにあった?
2021.3.1244 views
1973年に発売された名曲「神田川」。その舞台となった「横丁の風呂屋」はいったいどこにあるのでしょうか。フリーライターの本間めい子さんが解説します。
神田川の舞台はどこなのか
南こうせつとかぐや姫のヒットソング「神田川」(1973年発売)といえば、上京する若者が1度は夢見る情景を描いた歌として人気です。「ああ、自分も恋人と肩を寄せ合って『横丁の風呂屋』に通いたいなぁ」――と。そんな「神田川」ですが、歌碑(中野区中央)が中野区にあります。場所は神田川にかかる末広橋付近の公園。最寄り駅は総武線の大久保駅です。
1973年に発売された『神田川』(画像:日本クラウン)
歌碑が設置されたのは1996(平成8)年のこと。神田川沿いの遊歩道「神田川四季の道」の整備に関わった建設会社の社員が、地元住民から「せっかくきれいになったのだから記念になるものを」と言われたことで設置に至りました。
神田川の舞台はこのあたりなのか、といえば実はそうでもありません。「神田川」の製作経緯について説明しましょう。
まず、この歌が南こうせつの作詞であると思っている人は少なくありません。しかし実際の作詞者は喜多條忠(きたじょう まこと)です。今では作詞家として広く知られる喜多條ですが「神田川」を作詞した当時は文化放送(港区浜松町)の放送作家でした。
こうせつから作詞の依頼を受けた喜多條は、タクシーで当時住んでいた東中野の自宅へ戻る途中、神田川を整備する都庁職員の姿を目にしました。その時、5年前の同棲時代の情景が思い浮かび、家に帰りわずか30分で詩を書き上げました。
早速、電話口で詩を読み上げると、電話の向こうのこうせつは口ずさみながら書き取り、電話を切った3分後には曲が完成していたといいます。
西早稲田にあった「横丁の風呂屋」
この詩のもとになった実体験は、『東京新聞』2008年7月27日付朝刊につづられています。
「19歳の時、喜多條は同じ年で、髪の長い早大生の彼女の下宿先に転がり込んだ。三畳一間だった。高田馬場駅から徒歩十分。早稲田通りと明治通りが交差する近くで、アパートの窓からは神田川と大正製薬の煙突が見えた。同棲は1年で終わった」
記事中では、「横丁の風呂屋」が西早稲田にあった「安兵衛湯」としています。この銭湯は西早稲田3丁目の早稲田通りから1本奥に入った茶屋町通り沿いにありました。現在のスーパーマーケット「三徳 西早稲田店」(新宿区西早稲田3)の裏辺りです。
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