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「うのはな」さん 専用掲示板

660シャンソン:2016/06/05(日) 20:46:23
  正義と勇気

 正しいことをやるためには、勇気がいる。その勇気がないために、正義を不正義におきかえて、
「慣例に従いました」というのでは、あまりにもたよりない話である。そんなことではこの人生も中々よくならない。
実相が現象に出て来にくくなり、神意現成が、それだけでは隠蔽され、光明化運動が阻碍される。

 しかし「正しいこと」とは、「自分がそう思っている」というだけでは不充分である。
だからよく神想観をして、それが本当に神意に叶っているかどうかを直接認識しなければならない。すると必ず分る。
もしどうしても分からないことがあるとすれば、果してどんな事であろうか.....

 例えば会場に千人入場したのに、「千五百人」と報告しようという話は、明らかにインチキであり、正しくないのである。
どこかの女性のお腹の中に自分の子供が出来たという時、それを「オロシてこい」というのも、明らかに不正であり、人殺しの要求である。
ことに、「体面が傷つけられるから」では話にならぬ。

 それとも、自分が何の行為もしないのに、その女性の腹に「自分の子が突然できた」という〝奇蹟〟が生じたのであろうか。
二重帳簿をつけて、税金をごまかそうというのも不正行為である。上司からそう言いつけられたとしても、それは上司が間違っているのであって、不正は不正である。
あなたはその上司のインチキに加担するかしないかの選択を迫られる。

 つらい選択だが、そういう時にあなたの〝勇気〟がためされる。
もし勇気があれば、正しい選択が出来、そのような勇気ある人々が地上にふえる時、「地上天国」が近づくのである。
 そのような崇高な行為をするためにも、あなた単独では中々難しい。そこで多くの「味方」を必要とする。
その味方の第一が「神」である。神はそれ以外に望むべきもない最高にして最強力の味方である。

 従ってこれを毎日実行せよ。毎日かかさず神の導きをうけ、何をなすべきかを教えてもらうのである。
もし判らないとすれば、それはまだ「神想観」の練習が足らないからである。絵でも音楽でも、その練習が不足している時は、何を
どう表現したら「うまく出来るか」が分らない。それと同じように、どうしたら神意を現成しうるかが分らない場合もある。

 自分ではこうした方が正しいと判っても、それを実行する「やり方」が分らない。それはある楽譜を弾くのに、どうやって弾くか、その指の
使い方が未熟で、よい音が出ないようなものである。そんな時は先生(先輩)にきけ。
さらに又このような時、人々は、ひたすら祈り、かつ練習するのである。よい目標を立て、ひたすら、悦びをもち、勇気をふるって練習し、修行する。
真の勇気を得るためには、「練習の勇気」が必要である。

   『生きることの悦び』 谷口清超先生 著


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