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「うのはな」さん 専用掲示板
5916
:
うのはな
:2019/12/08(日) 18:51:32
宇宙より己れを観よといにしへの
釈迦、キリストもあはれみ教へき
窪田空穂
という歌では、宇宙から自分を見つめなさい、と歌っています。
空穂の老年のものすごい創造力の根源にはあるのです。
自分と、その自分を包みこんでいる宇宙とがあるが、
その宇宙は自分の中にもあるのだ、という信念。
そういう構造がはっきりと前提としてありますから、ベタッと何かに
くっついたり離れたりするのではなくて、あれとこれは全然別々という
構造的な把握のしかたがきちんとできるんですね。
そして、あれも「己れ」、これも「己れ」という、
その次の段階があって、大いなる「己れ」というものをそこでとらえているのです。
そういう自分自身にだけ固執することのなかった歌人がいたということは、
ぼくらにとっては励ましになるという気がします。空穂はおとなしい人だ、と
よく誤解されていました。歌壇というのは誤解のかたまりみたいなところがあるから。
しかし、この人自身は死ぬころになってから、
闘士なき我ぞと人言ふ闘志をば 我に向くればはてしあらぬを
闘志を自分に向けたらどこまでも闘志をかき立てられて
果てしがないということですが、そういう人だからこそ、また歌をうたうことについて
かりそめの感と思はず今日を在る 我の命の頂点なるを
と、歌っているのです。自分の歌は一つ一つは非常に小さなことを歌っているように見えるけれど、
かりそめに感じたことを単純に歌っただけのものではないのだ。なぜかといえば、私は、わが生涯の「いま」こそが
頂点だという生き方をしているから、刻々が自分にとっては常に生命の頂点なのだ、という認識なのです。
これはじつに論理的なとらえ方です。
こんな論理的なとらえ方を九十歳に近い人がして、いくらでも歌ができてしまったということは、
人間の意識的な生き方がいかに大事かということを教えてくれるのではないでしょうか。
『瑞穂の国のうた』 大岡 信著
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