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「うのはな」さん 専用掲示板

5828決算書の読み方:2019/10/15(火) 15:09:43
      悪魔が考えた「地獄」より残酷なこと

 貸し借りは大昔から存在した。困っている隣人を助けたら、相手はありがたがってこう言うだろう。
「ひとつ借りができた」と。契約書など交わさなくても、誰かを助ければ、相手は自分が困ったときに助けてくれる。
そうやって人は借りは返すものだ。しかし、こうした助け合いは、借金とはふたつの点で違っている。ひとつは契約で、
もうひとつは利子だ。

 契約とは、「今日私を助けてくれたら、明日はあなたを助けてあげる」といったゆるい合意を、具体的な条件のある法的な義務にしたものだ。
具体的な条件には交換価値があり、つねにではないが、多くの場合、金銭で表される。ローン契約では、ローンの借りて(債務者)がローンの貸し手(債権者)に、
ローン元本に何かを加えて返済する。その何かは、普通は金銭だ。ローンを貸し付けることによって得られるこの特定の利益が、利子と呼ばれるものだ。

 ここに違いがある。人助けの場合には、正しいことをしたという満足感が経験価値になる。
人を助ける自分の心が温かくなる。コスタス船長のために海に潜ったときのように。しかし、ローン契約の場合、見返りに何か交換価値のあるものを余分に受け取れることが貸し手の行動の動機になる。
それが利子の受け取りだ。

 メフィストフェレスとフォースタスの取引は、助け合いの気持ちからではなかった。
地獄に行って当然の人間を無理やり地獄に引きずり落とすのに飽きた悪魔は、もっと大きな褒美を欲しがった。
善良な人間に、自らの意思で永遠の責め苦を負わせるようにしたのだ。
 そのために、自由で公正な契約を結び、善良な博士に義務を負わせた。

 24年の悦楽の日々が刻一刻と終わりに近づくにつれ、フォースタスは絶望の淵に深く沈んでいった。
とんでもない「利子」を支払わなければならないことに気づき、契約の署名したことを後悔する。

 フォーカスタスがメフィストフェレスに負った債務の物語は、当時の人々が「市場のある社会」から
「市場社会」への移り変わりを心配していたことを映し出している。
交換価値が少しずつ経験価値を凌駕しはじめていた16世紀に、マーロウがこの戯曲を書いたのは偶然ではない。

 この物語は、自由な選択、履行義務を伴う契約、そして債務と利子の関係を描く中で、近代ヨーロッパで利益の追求のという考え方が出てきたことと、
それが引き起こす不安を見事に映し出していた。
 だから、フォースタスとメフィストフェレスの物語は単なるフィクションではない。それは人間の歴史の中で借金と利益が結びついた、痛々しい瞬間を表している。

 『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話』 ヤニス・バルファキス=著 関美和=訳


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