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「うのはな」さん 専用掲示板

4741シャンソン:2019/01/08(火) 21:36:26
  「本人の罪でも親の罪のためでもない」ということばに慰められた

 娘がこつ然と姿を消すという、思いもかけない大きな出来事の中にあって、
夜はあまり眠れず、昼間はむなしくなってぼんやりしたり、涙にぬれていたりしました。
そんな頃に、いろいろな宗教や占いの人たちが、よく訪ねて来て、「こんな事件が起きるのは因果応報だ」とか
「きちんと先祖をお祀りしていないからだ」とか、心に突き刺さることばを残していきました。

 私は誠実に温かく生きてきた父母に思いを馳せて泣きました。また、私自身もできるだけ質素に、物を大切にし、人に迷惑をかけたりしないように、
悪いことは悪いと言える勇気を持つように教え育ててもらい、まじめに生きてきたつもりでした。
 そんなことに心を痛めている私に、めぐみのいちばん仲の良かったお友達のお母さんである眞保節子さんが、慰めのことばをかけてくださいました。
それは、聖書のことばでした。

「イエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。『先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。
この人ですか。その両親ですか。』イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです』」(ヨハネ9・1-3)
 初めて聞く、不思議なことばでした。

彼女はまた、「神のわざというのが、どう現れるのか今はわからないけれど、これはものすごく大きなことね」と言いました。
私にとって理解は難しかったのですが、このことが子どもの罪のためでも、両親の罪のためでもないということばは、当時の私の心に、大きな慰めを与えてくれたのは確かでした。

(2003年、『ブルーリボンの祈り』)『愛は、あきらめない』横田早紀江 著


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