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「うのはな」さん 専用掲示板

2571レモン:2018/03/22(木) 22:47:07

 むかし、若い苦行層が、ごつごつした険しい岩山の上に息絶えでたどり着きました。
ふと目を上げると、大きな岩の上に静かに座って、穏やかな顔で自分を見つめている老僧と
目が合いました。

 苦行層は、思わず尋ねました。
「ご老僧よ。あなたは私と同じ身分とお見受けしますが、なんの苦行もしないで、そこで夕風を受けてのんびりと憩っていらっしゃる。
私はわらじの間に尖った小石を入れ、体を鞭打ちながら、この険しい岩道を登ってきたのです。なんという違いでしょうか」

 老僧は、静かに自分のわきの平らな石を指さし、座るように促しました。
「たいへんな苦しみを身に受けられて、頭が下がります。ところで、あなたは、体を鞭打ち、自ら苦しみを自分に担わせて、一日の時間をどのように使っていますかな」
「それはもちろん、苦行することです。苦しみに耐え抜くことだけです」

 「自分の苦しみを耐え抜くためだけに、時間とエネルギーを差し出すと、どれだけほかの人に心を向けることができるじゃろうかな」
「自分のことで精一杯で、今は人のことには目を向けるゆとりもありません。でも、私が悟りを開いたときは、私の心全部を人に向けて人を救います。あなたのように、平穏なのんきな時間を過ごす
ゆとりは、私にはありません」

 長い沈黙のあと、老僧の深い声が、岩山の風に乗って響きました。
「こうしていても、私に必要な苦しみは天が采配して送ってくれる。その苦しみの一つひとつ乗り越えて心をさわやかにし、ゆとりのある心で、今苦しんだ体験を活かしながら、自分が気がつかないところで苦しんでいる人たちに、
慈しみのエネルギーを送るのが、わしの喜びなんじゃ。人は自分から苦しみを求める必要もない。人が求めるのは、与えられる苦しみをいかに受け入れ、そこから学び、ゆとりのある心で明るく生きることじゃ。人は、苦しむために生まれてきたのではない。
幸せにあるために生まれてきたんじゃ。毎日、新しい命をもらって、生き生きと感謝しながら、いさぎよく生きるように創られているものなんじゃ。人はみんな、深いところでつながっておるから、おぬしが苦しめば人も苦しむ。おぬしが幸せなら人もみな幸せになるんじゃ」

 若い苦行層は、首を振り、もう一つの尖った石をわらじにはさみ、足を引きずりながら黙って老僧のもとを去りました。
岩陰に姿が見えなくなる瞬間、老僧を振り向いた若い苦行層の顔に夕日が差し、一瞬、清らかな光で表情が輝きました。そのうしろ姿に向かって、老僧はつぶやきました。
「それでいいのじゃ。自分の道をゆくがいい。おぬしなりに、いつか、人をも自分をも幸せにする泉へ行き着くだろう」

 祝福に満ちた穏やかな静かなつぶやきが、岩山の頂上から、清水のしぶきのように山すそへ広がっていきました。
老僧のつぶやきと祝福は、この本のなかの人たちの胸にも響いているのです。

 『ありがとう、あなたが私の子でいてくれて』 鈴木秀子 著


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