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「うのはな」さん 専用掲示板

2377シャンソン:2017/12/08(金) 22:26:38
   日本は「復古と変革」のパラドックスを統合できた

 シュタンツェル氏は、「鉄の檻」からの脱出先として天皇の存在があるとおっしゃいました。
私が思うに、鉄の檻から逃げるという行為には、ナショナリズムに帰るという一面があります。
 たとえば、EUです。EUという形で統合を目指したEU諸国に典型的に現れたのは、近代合理主義とグローバリズムでした。
それを「鉄の檻」と感じたイギリスは、その檻から逃れるために、EU離脱(Brexit・Britain+Exit)をしました。

 このイギリスによるEU離脱やトランプ旋風は、極めて単純で素朴なナショナリスティックの要素が一面としてあると思います。
日本の場合も、明治維新をかき回した合理主義のことを鉄の檻とするならば、そこから逃れるために、ナショナリズムとしての天皇の存在が大きかった
のかもしれません。

 しかし、同時に忘れてはいけないことは、合理主義が世界を席巻した十九世紀、強い国が弱い国を支配する植民地時代に、世界に伍した近代的で合理的な国家にすることを
迫られた日本国の中心は、やはり天皇だったということです。日本がまとまるために、天皇はなくてはならない存在でした。
 たしかに、神代の昔から続く天皇を政治の中心に捉えることは、復古運動と言えるものです。と同時に、形だけに追いやられていた天皇を政治の中心に捉えることは、変革であり近代化することでもありました。

すなわち、天皇が、国家の中心に座っていることは、この「復古と変革」のパラドックスを統合させる手段として最適だったということになります。
このパラドックスが、天皇という形で統合することができたからこそ、日本は、ばらばらにならずに近代国家に入っていくことができたのです。
もちろん、ばらばらにならずに近代国家になるとか、植民地になるなどのプロセスを踏まなければなりませんでした。

 ところが、日本は、そうしたプロセスを踏むことなく、復古主義を失うこともなく、スムースに近代国家を作り上げました。これは、私の知る限り、日本以外の国ではタイだけなのです。
イランのパーレビ王朝は、明治天皇を尊敬し、イランを近代国家にしようとしましたが、焦って事を急ぎすぎたのでしょうか、失敗し、イラン革命で失脚してしまいました。復古と変革のパラドックスを
統合することができなかったのでしょう。

 『渡部先生、日本人にとって天皇はどういう存在ですか?』 渡部昇一×フォルカー・シュタンツェル(前駐日ドイツ大使)著


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