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「うのはな」さん 専用掲示板

2293転載:2017/11/07(火) 15:29:11
1003 :シャンソン:2015/01/18(日) 20:53:52 ID:B11vliTQ    心の応接間(3)

 ぼくの眼はこの大空の深い安らぎを感じる。そしてぼくのうちに、陽の光に満たされるようと葉の杯を差し伸べる
一本の樹木の感じるものが伝わる。 タゴール

 タゴールの詩の一節である。これを読んでいて私は、ふと感じた。詩人は、じぶんを太陽に葉を差し伸べる樹木のように、
大空を見上げている。そして空から深い安らぎを感じとっている。ともすれば忙しさにまぎれて、こんなふうに、空を見上げて深い安らぎを
感じることを私は忘れていた、と思いあたった。

 みなさんはどうだろう。大地や樹木や空が、私たちの生活において、経済的な意味とは別に、どんなかかわりを持っているのだろうか。
ともすれば、そんなものとは無縁になっているのではないか。
 日本人は昔から自然と人間とがひとつのものとして融けあって生活していたといわれている。
心のなかに神を見出す人は、自然の奥にも聖なる神の現われを感じる。しみじみとした心で空を見上げる。そしてそこからふしぎな輝きを感じとる。
こうしたことをあなたは忘れていないか。

 詩人のリルケは、鳥の翔ぶ空間は、私たちが見上げている空間ではない、と歌っている。
そのいうこころは、私たち人間の日常化した空間とは別な、聖なる空間というものを歌おうとしていたのである。
空を見上げれば、スモッグで曇った空や、航空機や人工衛星の飛ぶ空とは、別な、心の空があるはずである。

 人類が月世界まで行ける時代に、お月見なんて、ナンセンスだ、という人もいるが、お月見をする空と、飛行機の飛ぶ空とは、
次元のちがう空なのである。日本語の「社会」という言葉は、居住空間といった現代ふうのソサエティーの訳というよりは、くにつ神を斎き祀った社を中心に
人口が結集した場所という意味があったといわれている。

 つまり聖なるものを中心にしたコスモスとしての秩序があった。コスモスという言葉も、ギリシャ人が壮麗なる空を見上げて、そこに宇宙の聖なる秩序を直観してつくった言葉である。
それは日本語で、「高天原に神つまります」と言われている直観と同質の敬虔さと叡智をもっていたのである。
 ともあれ、自然科学で対象化し、測定する空間と、樹木が生命として伸びている空間とは異質なものだ、という考えは、決して突飛なものではない。

 W・E・バトラーという超心理学者が、人間はときどき大地の上に素足で立ったり、樹木によりかかったりすることが健康によい、と述べているが、それはともかくとして、時には自然の健やかな生気(プラナ)を
吸い込むことは、心をひろびろとしてくれる。古代人が仰ぎ見た空の、神気あふれた美しさという直観と、あまりに無縁な生活に明け暮れる現代人の生活のうちにも、やはり、時には、「心の空間」に、聖なるものを感じとることは
必要なのではないだろうか。人間が活動する舞台の背景として自然を考えたり、加工する素材や搾取の対象として自然を見たりする習慣が、人間を傲慢にしている。

 今や地球は傷だらけだ、と自然保護団体は叫ぶ。たしかに一理はある。しかし、こうした人々の心に、「聖なるもの」への直観がなければ、単なる反対運動に終るしかない。宇宙の御中に中心があって、聖なる天之御中主神としてそれを直観した
神聖秩序の感覚が、私たちの心の中には生きている。

  あさみどり澄みわたりたる大空の廣きをおのが心ともがな

 この明治天皇の御製のみ心は、単なる人生訓といった受け取り方をすべきものではないだろう。
思えば大空のどころか、せせこましい心の部屋に、空間がすこしもない現代人の心を反省するとき、前述のタゴールの詩の一節も
強く迫ってくると思う。

 宮沢賢治は「空からエネルギーをとれ」と言っているが、空や、風や、樹木や花などに、心を開いて、じっと見つめると、ふしぎに、いきいきとしたよろこびが
伝わってくる。それは生命のエネルギーと言ってもよい。
 家庭で、花瓶に花をいける人はいるが、その花を、しみじみと見たことのない人も多い。みなさんに提案したい。
そうした花瓶の花を十五分間、じっと見つめてごらんなさい。観察するのではなく、花の心を聴くつもりでじっと見つめるのである。赤い色とか、白い色とかいった言葉で
簡単に言いあらわされることではなく、なにか、そこに在る、かけがえない、神秘的としか言いようのない、親しい呼びかけのようなものを感じるにちがいない。

 多忙な日々のなかで、そうした時間を持つことは、決して無駄ではない。
気がつくと、じぶんの心のなかに、清潔な応接間が出来ていることがわかる。
 そして、皆さんの愛する子供たちを、時にその応接間に迎え入れてはどうだろう。

 『光の国から』 渋谷晴雄 著


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