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「うのはな」さん 専用掲示板
1859
:
聖典引用
:2017/06/07(水) 13:47:27
17: うのはな :2011/11/28(月) 00:20:12 ID:iM0b0bt6
今迄宗教家が人間と神様との間の仲介になって、まるで紹介業みたいに「私が貴方の救いの仲立ちを
しましょう」と云うわけで、「私はあなたに無限に死なない永遠の生命を紹介して差上げましょう」と云うわけで、
「私が仲介になって、不滅の命をさずけて下さる佛様や神様に紹介して差上げますから、紹介料は幾ら出しますか」
と云うような宗教が多かったのでありますが、人間が救われるのは自分自身の「實相」が本来「佛」であると云う真理に
よるのであって、そういう「救われの仲介をしてやるから、お賽銭を出せ」と云うような宗教は多分に邪教の匂が濃いですね。
だから今迄にそう云うことを説く宗教業者が多かったから、私はそういう宗教業者にはなりたくないと思って、唯、本を読むだけで
救われる、しかもその本も普通の書籍と同じような市価で求められるようなものでなければならないと言うので、現在の出版会社組織の
日本教文社(当時は光明思想普及会と称した)が出来たのであります。
もっとも大量に人を救うと云う為には一寸講演会場を借りるにしても費用が要るのであり、
講演の通知や宣伝をするにも費用が要るのですから、そうした公の費用を集めるのはいいけれども
布教師自身が生活の資を得る為にその金を集めるということになると、それは宗教業者と云う事になって
純粋宗教人ではなくなります。此の点は余程注意して純粋宗教人としての生活を送りたいものであります。
『精神科学』昭和33年7月 谷口雅春 先生著
18: うのはな :2011/11/28(月) 03:20:33 ID:iM0b0bt6
瘤の精神分析
肉体の内部に出来る塊は、肉腫でも癌種でも、瘤でも、肉身は肉親に通ずるので、
みな肉親の者同士の間の精神葛藤の「心の塊」の具現化であることを、私は或る年の『生長の家』誌の
法語の中に書いたことがある。
ところが、当時夫婦別居して東京に住んでいた野中夫人はそれを読んで夫君の野中賢一郎氏の臀部にある
林檎大の瘤のことを思い出したのである。あれも「肉身の中の塊」であるからきっと「肉親の中の心の塊」の
具現化であろうと思い、自分たちは肉親の者の中で誰と不和であろうか、誰か私達を恨んでいる人はないであろうか
と考えた。すると思い出したのは、自分が賢一郎氏の後妻であり、先妻の霊に対して一度も挨拶していないことを思い出した
のである。或いはその先妻の霊が、まだ浮かんでいないので、良人に執着し、その執念の念が良人の臀部に象徴化してあの瘤として
形をあらわしているのかもしれないと考えたのである。それで良人に手紙を出して先妻の名と、その亡年月日を知り、生長の家で教えられた
方法により、その先妻の亡霊が悟りをひらくように毎日その亡霊に対して聖経『甘露の法雨』を読誦することにしたのである。
すると、今まで野球の硬球のように固くなっていたその瘤が次第次第に柔かくなって、いくらかその瘤の表面に皺がより、一部分、熟した無花果のように
赤味を帯びて来ていたのである。
夫君の兵庫県宝塚のさくら館の三階広間にて催された、生長の家講師会に集った諸講師方の入浴のために欣然として風呂を清掃し、その風呂に清浄な湯を
わかして諸講師を入浴せしめ、最後にこれら世の先導者となる善知識の浴されたその同じ風呂に入り得る光栄を感謝して、合掌落涙する思いで、その最後の風呂に入り、
湯からあがって、今し自分の身体をふいて湯殿から出ようするとき、いつも手拭にふれる臀部の林檎大の瘤が消滅していたことを発見したのである。
それから大騒ぎとなり、おりから続行中の三階の講師会席に出て、その体験報告が行われたのであった。
たしかに先妻の亡霊が『甘露の法雨』の功徳によって悟りをひらいて、良人に送っていた執着の念(心の塊)を放棄したとき瘤は柔かくなり凋みつつあった。
更に野中君自身が「徹底感謝」の心境に達したときその大いなる瘤が奇蹟的に消滅したのである。
『美と健康の創造』P152〜 谷口雅春 先生著
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