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「うのはな」さん 専用掲示板

1664シャンソン:2017/04/08(土) 13:39:35
  大いなる存在を前にしたときに、つつしみが生まれる

 最近では見かけなくなりましたが、昔は田舎などに行くと、朝日に向かって手を合わせて拝んでいる
おばあさんなどがいました。そのおばあさんたちには、太陽神を崇拝して拝んでいるなどといった意識はなかったと思います。
このお天道様を拝むという、まさにつつしみのこころの表れだったと思います。

 また、お天道様という言葉には、人間の宗教心の原点や根源といったものが感じられます。それは、自分をはるかに超える存在に対する畏敬や信仰です。
お天道様とは、一般的には太陽や日輪を指す言葉ですが、それだけにとどまるものではないと思います。
天の道という文字が示すように、それはあらゆる現象にあまねく働いている法則や摂理のようなものです。

 私自身は、それをサムシング・グレートという言葉で表現してきました。
そうしたものの存在や力を感じることが、本来の意味での宗教心なのだと思います。
それは、どの宗教の信者だということとは直接、関係ないことです。神や仏といった言葉は、それぞれの宗教的な
立場に合わせて、そういうものを表現したものだと思います。

 そうしたものを前提にしたとき、つつしみのこころが生まれます。逆に、つつしみのこころを持って生きることは、天の道にかなっていることです。
つつしみのこころを持った人間は魅力的です。人間としてのスケールが、ひと回り大きく感じられます。ですから本当に立派な人というのは、決して威張っていません。素直で、
謙虚です。中途半端な人間ほど、俺は偉いと威張っています。

 大きなことをなしている人は、表現こそ違うものの、天の道のようなものを自分なりにつかんでいるのだと思います。
自動車王として世界の製造業に一大変革をもたらしたヘンリー・フォードが、あるとき新聞記者から、「まったくの無一文から、どうして莫大な財産を築くことができたのか」とたずねられたそうです。
するとフォードは、「あなたは間違っている。私は無一文ではなかった。天から偉大なものを授かっていた」と答えたといいます。

 私はろくに学校にいっていないし、教養もないが、天の道に通じている、それを少し応用しただけだ、と。
彼はサムシング・グレートのようなものを感じていたのでしょう。そして、それに感謝していたのだと思います。少しばかりの才能があると威張っている人間のことを、天の道やサムシング・グレートはかわいいとは思いません。
あまりできはよくないかもしれないが、日々、感謝の念を忘れず、一生懸命やっている人間のほうがかわいいのです。それが、つつしみです。そうした人に対して、天の道やサムシング・グレートは恩恵をもたらしてくれます。

    『望みはかなうきっとよくなる』 村上和雄 著


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