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「うのはな」さん 専用掲示板
1354
:
独占版から移転
:2017/02/06(月) 16:26:49
4342: シャンソン :2015/09/13(日) 14:36:03 ID:AePejBeE
『宗教を罵る』の著者、大宅壮一は「谷口雅春論」(『文藝春秋』昭和三十年六月号)の中で、
谷口を「いかにも柔軟で女学校の校長」を思わせる人物として捉えたうえで、現代の日本の生んだ大きな怪物の
一人とみているが、そのユニークな谷口の文書伝道のあり方について、次のように揶揄している。
「彼(谷口)が個人雑誌を思いついたのは、初めから手持ちのファンが若干あったからである。大本教にいた彼は「手紙布教」
という役を担当していた。これは各種の名簿によってこれはと思う人物に目星をつけ、あなたの生涯の中で興味のある話があったら、世間に
発表したいと思うから知らせてほしいという手紙を出す。少しでも地位のできた人間は、だれでも自分の過去を語りたい欲望をもっているものだから、
感激してすぐ返事をよこす、するとまた折り返し、彼の書いてきたものに対する感想を書いて送る」
大宅によると、こうした手段で反応の多いのは男では軍人、女では未亡人が多かったという。確かに軍人華やかなりし頃、大本教にも、その他の教団でも将官、
佐官級の軍人の名がよく出てくる。生長の家でどうだったかはわからないが、谷口の大本での経験がこのとき生かされたというのはほんとうかもしれない。
『谷口雅春とその時代』 小野泰博 著
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