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「うのはな」さん 専用掲示板

1164シャンソン:2016/12/03(土) 12:04:45
     新聞大学大学院

 東京は首都であると威張っても、文化度では、関西に及ばないかもしれない。
ことに周辺の農村部では新聞記者は少なく、併読紙など考えることもできなかった。
 文化における西高東低の傾向は、いまなお完全に消えてはいないようである。

 政治と文化と相性は生じないことを暗示している。
全国規模で小学生の作文コンクールなどが行われると、低学年ほど、関西の子どものほうが、
関東の小学生より、すぐれていることが多い。

 文化度に差があるのであるのか。新聞大学は、新しい考えにもとづいているから、西高東低にしばられることはない。
併読紙を持つことについて、東京の人間が、関西の人たちに後れをとるということはないかもしれない。
とにかく、併読紙を持つか持たないかは大きな問題である。軽い気持ちで、もうひとつ新聞を購読するなどということは考えにくい。

 やはり、ものの考え方にかかわってくる。ひとつの新聞しか見ていなければ、その新聞の考え方、見方、価値観に、しばられるという自覚もなくしばられている。
併読紙があれば、いやでも、新聞の持っている個性、傾向などが目に入つはずで、それによって、読者は新しい知的個性を育むことができるはずである。
 併読紙を持つことで、新聞大学に学ぶものは、大学院へ進むことになる。

 毎日、三十ページを超す新聞を二つも購読するのはたいへんなことであるが、一紙だけでは得られないものがあることを発見できるのが、新聞大学の大学院である。
ひとつでは多すぎる、というプリンシプルにしたがえば、併読の読者は、真の新聞読者であるということができる。国際競争力のある知性を育むことも可能であるように思われる。

     『新聞大学』 外山滋比古 著


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