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読書紹介板
541
:
アクエリアン
:2018/04/12(木) 19:39:11
釈迦の仏教学からプルシャの仏教学へ3
山折 非人情の極致ですね、人間の生死にまったく関心を示さない・・・・・・。津田さんはそこに仏教的なものの見方の根本 的なものが表れている、と直観された。
津田 仏教的というより、それを超えてインド的な見方ですね。
山折 しかし、そういうインド的見方はどこから出てくるのか。愛とか慈悲なんかなくてもいいんだ、そういうアンチ・ヒューマ ニズムがどうして是認されうるのだ、ということですね。
津田 つまり、愛や慈悲は必然ではない、ということがあるのです。ここが問題のところで、私たちは愛とか慈悲とかを必要 だ、なくてはならないものだ、と思っているわけですが、原理的にはそうではないのです。慈悲は、それを採るか否かという 私たちの態度にかかっている、いわば実存的な原理なんですね。それが私たちの態度を critical に 分ける・・・・・・。
慈悲という原理のクリティカリティー
山折 早くも津田さんのキーワードが出てきましたね(笑)。津田さんの定義ではどういうことになるのでしたっけ・・・・・。
津田 AB両項が<両立不可能、かつ二者択一不可避>ということです。まず、そのAB両項が具体的に何でなければなら ないのかということが問題になりますが、それが<ヨーガの宗教>と<利他行の宗教>になるわけですね。
山折 その死にかけている老人を完全に無視して、それでもいいんだ、というのがヨーガ的な精神性で、それが愛や慈悲に 原理的に先行している。そこが仏教的であるより、さらにインド的なんですね。そして慈悲というものをその原理的なところに 遡って、その制約においてつかまえる、ということがまだ仏教学の世界でなされていなかったんですね。
津田 はい・・・・・・。
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