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読書紹介板
539
:
アクエリアン
:2018/04/12(木) 19:36:40
釈迦の仏教学からプルシャの仏教学へ 2
山折 リュエッグさんはヨーロッパ仏教学の最後の大家ですね。ところで、その<開放系>というのは津田さんが例の『反密 教学』(リブロポート刊)のなかで展開された理論とは別なんですか。
津田 『反密教学』は1987年に出したものですから、もう10年近くも経ってしまいましたが、<開放系>というのは、それか ら三年ほどしたところで出てきた新しい考え方です。
山折 『反密教学』にはいろいろおもしろい問題が論じられていますが、特に仏教とは何かという根本問題について、ひじょ うに論理鋭く、問題提起がなされている。それにそういう問題に入る前の序論のところが面白いんですね、具体的な挿話 が・・・・・。たとえば、インドのカルカッタで一人の老人が道の真ん中に倒れて死にかけていた話とか・・・・・。
津田 それは昭和58年(1983)の暮れのことだったのですが、自坊(うち)の檀家の人たちを連れて仏跡を巡拝してきたの です。やはり最後はカルカッタに戻ってきまして、どうしても彼らに、私が前に一度行ったことがあるカーりー寺院を見せてあ げたい、というより私自身がどうしてももう一度あそこに行きたかったので、飛行機が出るのが午後でしたから、その朝方、 バスを廻してもらってカーリー寺院にお参りしたのです。それはその帰り途にバスの窓から見かけたことなのです。バスが 大通りの交差点の信号で止まったその間のことですから、時間的にはほんの短い間のことでした。
山折 瞬視、というのでしょうか、何か具体的な風景とか場面に出会った瞬間に、ある思想的な事柄の本質のいちばん深い ところが一気に開かれてくる、そういう経験ですね。インドへ行くと、不思議とこれがよく起こる。これがインド旅行のありがた いところですね。で、話を、その老人に戻しますが、その老人が倒れているところへ二人の美しい女子学生が通りかかった、 何か楽しそうに語り合いながら・・・・・・。そこで津田さんは、その二人がその老人に対してどういう態度をとるか、その場面 に注目したわけですね。結果、女学生たちはその老人にまったく気にもとめずに、その傍らを通り過ぎていった・・・・・。
津田 かわいそうだとか汚いとか、そういう感じがまったくないのです。日本のお嬢さんたちでしたら、たとえばこの京都の四 条河原町の大通りの真ん中にホームレスのおじいさんかだれかが倒れて、そのようにお尻から汚物を垂れ流して死にかけ ていたら、それが憐れみからか、嫌悪ないし恐怖からかわ知らず、とにかく眉をひそめて避けて通るでしょうね。しかしインド のお嬢さんたちは、ちょうど紙屑かミカンの皮が落ちているというくらいの感じで、避けもせず平気でその老人の側をすれす れに通り過ぎました。静かに、楽しげに語り合いながら・・・・・・・。私はその光景をすばらしい、と思ったのです。
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