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読書紹介板
377
:
転載
:2018/01/22(月) 00:29:30
【谷口雅春氏の365章シリーズ】
生命の実相40巻の書かれている記述の位相は何だろうか。
それは、霊筆とも言われ、神示に近いとも、霊示に近いとも言われる。
守護する神への愛を語るというよりも、
法則の神の霊示、これに近いのではないだろうか。
また、この生命の実相40巻が読みにくい場合、
365章シリーズを手にすると、
その短い章句、文は、実は、祈りの文、祈祷の文ではないかとさえ、
思われてくる。
そう、法則としての神、宇宙の法則、自然の法則、・・・
そういうものを霊示しているが故に、
祈りの文に使えるのではないか。
整然としすぎるとか、
しゃべり過ぎとか、
言われる。
しかし、そうでしょうね。
何せ、生命の実相を霊示しているのだから。
実相とは、つまり、本質論の展開なんです、ね。
これが、
生命の真実であり、
生命の真理であり、
生命の実相であり、
生命の本質である、と。
そして、何よりも、
生命の存在論でもある。
完全円満なる実相。
そういう実相の記述であるがゆえに、
谷口雅春氏の文は、そのまま祈りの文となる。
読む者にとって、祈りの文として使える。
逆に言えば、
生長の家の教義は、
俗人向けに書かれたものではない。
というのは、完全円満なる実相の霊示は、あなたの現実的な
悩み、問題の解決には、ただちに、結びつかないので。
言わば、理想と現実との間に大きな溝があるように見えるらしい。
その理想に近づかないのは、
あなたの心の現実の影なのだから、
あなたの心の現実の歪があるのだと、指摘することになってしまう。
そういうあなたの弱点を指摘されることで、
満足していく信者はいない。
だから、だんだんと、谷口氏の教義から離れていく。
もっとも、祈りの文としてみれば、
ああいう万教帰一的な光明思想家の存在はありがたい。
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