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読書紹介板
231
:
A空慧理庵
:2017/07/22(土) 10:10:40
唯識入門③
さて、阿頼耶識には、あらゆる結果の種子が植えつけられる。前に述べた七識が、生きのかぎり 動きまはるその活動の結果はもとより、さういふ心法の活動のみならず、その対象たる色法の種子 までも、心法に伴はれて、ここに植えつけられるのである。この植えつけられることを、衣服にた きこめられた香の薫りが移るのにたとへて、熏習(くんじゅう)といひ、これを種子熏習(しゅう じくんじゅう)と呼ぶのである。
ところで、この阿頼耶識を、それ自体、何らけがれのない、ニュートラルなものと考へるかどう かで、考への筋道がちがつてくる。もしそれ自体がニュートラルなものであれば、輪廻転生を惹き 起こす力は、外力、いはゆる業力でなければならない。外界に存在するあらゆるもの、あらゆる 誘惑は、いや、心の内にもある第一識から第七識までのあらゆる感覚的迷妄は、その業力を以て、 影響を及ぼさずにはいないからである。
しかるに唯識論は、さういふ業力、業力のもたらす種子である業種子を、間接原因(助縁)と見 なし、阿頼耶識自体に、輪廻転生を惹き起こす主体も動力も、二つながら含まれていると考へるの だ。このことは、無着が主張しているやうに、当然、阿頼耶識自体も無染のものではなく、水と乳 とのまざり合つた和合識で、半ばは汚染していて迷界への動力となり、又、半ばは清らかで悟達へ の動力となる、といふ考へへ導くであらう。
そしてその内包する種子は、善悪業種子の助けによつて、来世苦楽いづれかの果報として現行(げ んぎょう)するであらう。業力の活動を重く見る倶舎論と、唯識論のことなるところはここであつ て、唯識では、阿頼耶識の種子から阿頼耶識が現行して自然法則(同類因等流果)を形成し、その 種子を業種子が助縁して道徳法則(異熟因異熟果)を生ぜしめるといふところに、独自の世界構造 を展開しているのである。
阿頼耶識はかくて有情総報の果体であり、存在の根本原因なのであつた。たとへば人間としての 阿頼耶識が現行するといふことは、人間が現に存在するといふことにほかならない。
阿頼耶識は、かくてこの世界、われわれの住む迷界を顕現させている。すべての認識の根が、 すべての認識対象を包括し、かつ顕現させているのだ。その世界は、肉体(五根)と自然界(器 世界)と種子(物質・精神あらゆるものを現行させるべき潜勢力)とから成立つている。
われわれが我執にとらはれて考へる実体としての自我も、われわれが死後につづくと考へる霊魂も、 一切諸法を生ずる阿頼耶識から生じたものであれば、一切は阿頼耶識に帰し、一切は識に帰するの だ。
『豊饒の海』第三巻「暁の寺」第十八章より
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