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読書紹介板

212神の子様:2017/06/16(金) 22:38:46

1398: うのはな :2012/01/11(水) 11:53:52 ID:El6gIMAw

 吾々の運動は決して個人の治病や致富にアクセクする運動ではなく、ひろく世界を救済し、
世界のすべての国々をして、平和な安住の地たらしめる聖使命活動であることは、もうみなさんの充分御承知の
通りである。そしてそれを実現する方法は、決して非現実的大言壮語をもてあそぶことではなく、着々として吾々の毎日の
生活を「真理」にのっとった「菩薩行」たらしめること以外にはないのである。

 観世音菩薩は三十三身に身を変じて衆生救済をなしたまうということである。
菩薩行とは、そのようにして、衆生救済のために、凡ゆるところに挺身し、泥にまみれつつも幼な児たちをすくいとって行く聖なる行為である。
菩薩の姿形は一定していないから、凡ゆる立場の人が凡ゆる方法でそれをなしうるのである。菩薩は、自己の周囲に菩薩をつくる(観る)のである。
そのときはじめて菩薩の真面目が発揮される。

 或る又「菩薩は所化の衆生に随って仏土を取る」と維摩経にはある。本当の菩薩というものは自分が楽になるために自分の浄土を求めるものではなく、
「衆生を教化するために、衆生の内に仏土を発見するのである」と谷口雅春先生は説いておられるのである。
(白鳩誌昭和三十二年二月号参照)まことにも極楽浄土は、西方の一角にあるのではなく、衆生の中にあるのである。
浄土が衆生の中にあることをしらずして、自己の中にのみ浄土を求める者は、西方或は東方にそれをもとめる者と同じように、
真実をしることが出来ない、キリストが「天国は汝の中にあり」といい給うたときの汝とは即ちそのような衆生である。
衆生の中に天国があるのである。

つづく

1399: うのはな :2012/01/11(水) 12:11:10 ID:El6gIMAw
1398

 したがって、天国は、今、ここにあるのである。東西両陣営の対立、中近東の抗争の
その中に天国はある。しかしわれわれの目にはそれはまだ見えない。けれども、たしかにそこに
あるのである。見えない天国は、これを見える天国としなければならないのである。
それには、われわれは凡ての人々をして「聖使命」菩薩たらしめることだ。
衆生の中に菩薩は仏土をみる。したがって、衆生の中に菩薩の雲集せる姿をみることこそ、われわれのなさねばならぬ聖なる
つとめである。

 われわれは周囲の凡ての人をみること、仏をみ菩薩をみる如くでなければならない。
それには深切と愛と智慧と精進がいる。凡ての人々を菩薩として拝むとき、われわれは凡ての人々に、真理をかたることができる。
若し真理をかたり得ないならば、それはわれわれが衆生を衆生としてしかみていないからである。
「あのまがっている奴に何を話したってわかるものか」と考えながら、地上天国を建設することは絶対出来ない。
凡ての人々を仏として拝むとき、当然われわれはそれらの人々に語る言葉は真理の言葉であらざるを得ない。
われわれは仏に向ってくだらね迷い言をいう筈がない。
菩薩に語るには、法語以外にあり得ないのである。

『光明化運動要項』 三十三年度版


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