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読書紹介板

1735転載:2019/12/08(日) 23:32:56
          西森久記 『東条軍閥・暴政録』(昭和21年11月刊)

 序文

 一、

 政治は専門家のやることで、一般人の携わるものではない、百姓は作物を作り、町人は

物品を販売し、鍛冶屋はハンマーを振るだけの者を職域に忠実なものとして之を礼賛し、

之を政治面から隔離して来たのが、歴代政府の国民指導方針であった。 

 この指導方針が最高峰に達したのが、東条内閣であって、彼は国民の質実剛健な美

徳を衆愚と呼称し、国民は権力で自由に懐柔できるものと考えた、総理大臣の指示権発

動を案出したのも、国民指導の簡易さに増長した彼が、閣僚にも等しくこの手を打たんと

目論見んだがためである。       

国民は東条総理の人格に敬服したのではなく、東条総理を御信任あらせられた『天皇』

の名のもとに帰一している為、無謀な東条逆政には内心不満を抱きつつも、国家の為

だ、『陛下』のためだから我慢するのだ、痩せ衰えた肉体を、東条暴政の荒鋸(あらのこ)

で削られながらも、歯を食いしばって頑張った。彼はこの純真な国民の気持ちを、自己の

権勢欲の犠牲として取り扱い、しかもこれを『衆愚』と呼び、国民は愚昧なものだ、本当の

事を言えば人心を動揺せしめるから、本当の事を言ってはいけないと事実を隠蔽し、殊に

戦況の報道は殆ど故意に彌縫と糊塗に終始せしめた事は周知の事実である。

 二、

 彼は自己の威力に自惚れ、彼の上に『天皇』のある事すら忘れていたかの感がある、

故に天意を冒涜した彼の社稷は根底より覆った、基より当然の既決である。 

 筆者がこの一文を曠古の読者諸彦に贈るゆえんは、敗戦責任が国民にあるか、政府

にあるか、はたまた政府と国民の共同責任であるかの見解を端的に説明し、再建日本創

設のご参考に供するものである。

議会人は国民の代表者であり、故に議会人と国民は常に直結されていなければならない

が、事実は議会人が選挙の際に一票を獲得する手段の為の連鎖であって、当選すれば

離散して顧みず、これが従来の政治常識であって、議会人も意に止めないが、国民もま

た不思議とも思っていないところに政治のあやがある。

 国民の知らざる間に戦争が始まり、また戦争が終了した。しかもその戦争の終ると同時

に、悠久の歴史は亡び、国家は独立性を失った。我等の生命も、我等の財産もことごとく

今連合軍の手中に在り、足らざる食糧の補填まで、温かい米国の救助によって僅かに飢

餓線を突破しつつある・・・

 三、                                        

『日本に一人の政治家なし・・・事実一人の政治家なく、東条暴政に抗し得ざりし為、国家

は亡び民族は滅亡一歩前に喘いでいるのだ・・・・』                      

現政治家が、軍閥、官僚を誹謗し奸賊呼ばわりするのは、天に向って唾を吐くと同一であり、

如何に責任を回避せんとしても敗戦の主体が、軍閥、官僚の監督指導権をもつ議会

人の責任であった事を忘れてはならぬ。これ以外に他に責任者を追求する理由が成立し

ないからである。 新旧両議会人の何れを問わず、共にこの点冷静に反省すれば、何れ

も流汗三斗の慄然を禁じ得ないであろう・・・・』  

本書は、政治家の責任において『私憤と公憤』『個人と国家』を区別せる点を指摘し、

いささか私見を述べて政治に感心をもつ読者諸彦に供し、ご参考ともならば幸甚である。

(昭和20年8月15日)


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