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読書紹介板

1719転載:2019/11/19(火) 00:57:35
 『私はこうして祈る』谷口雅春(先生)著

5つ星のうち5.0
本来の自分を取り戻す為に、“自由自在”に生きる為に、祈る!
2013年5月2日
形式: 単行本

一体なぜ、私たちに祈りが必要なのか?
特定の人格「神」に対して、「私を助けて!」と泣きついたり、
都合の良い願いを聞き入れてもらう為にではない。
とどまる所を知らない私利私欲を満たす為にでもない。

〈外なる神〉=宇宙を貫く法則、宇宙に満ちるエネルギーと、
自己の〈内なる神〉が一体化して、
無限の力を引き出す為に、祈るのだ。
赦せずにがんじがらめになってしまった心を解き放つ為に、祈るのだ。

祈りとは、病気本来無し、不幸本来無しの「人間・神の子」が、
“実相”たる本来の自分を思い出す為の、
“自由自在”に生きる力を取り戻す為の、最善の手段である。
また、祈りとは、垢が溜まりに溜った心を綺麗に掃除して
本来の真っさらな状態に引き戻す為の、
低下していた波長をぐんと引き上げる為の、最良の方法である。

この本には、“赦し”の過程を経て心を健やか且つ平和に保ち、
人生の様々な場面における難局を乗り切っていく為の
強力な“特効薬”たる魂の言葉、“愛”に満ち溢れた祈りの言葉が、
具体的に、また目的別に、幾つも挙げられていて、至れり尽くせり、実に親切だ。
だから、一見すると、“現世利益”を手軽に叶えてくれる「魔法」の如き本に思われるかもしれない。

しかし、常に楽して、棚ぼた式の幸運や奇跡を求めてばかりの人は、厳しいようだが、
決して「魔法」の本ではないところのこの本を、手にするべきではないと思う。
なぜなら、この本は、「祈り」という行為やその文言を、わたしたちそれぞれが“気づき”を得、
誤った生き方を是正していく為の一つの方法として、提案しているのに過ぎないからだ。
つまり、言葉と思いが一致しない限り、真心からなされるものでない限り、
謙虚でない限り、「祈り」は通じるものにはなり得ないということだ。

できれば、この本は、『四部経』などと合わせて読んで頂きたい。
なぜ、こうした祈りの言葉を用いるのかが、およそ理解できるものと思うからだ。
きっと、この本は、手にされた方の、悲喜こもごもの人生航路の
大事な場面での“心機一転”に必ず役立ち、
“再生”の為の力強き友に、大いになってくれることであろう。

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