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読書紹介板
1399
:
アクエリアン
:2019/04/27(土) 07:54:03
オウムに入信した人に最初に郵送されるカセットテープの内容が「オウムという真理」に巡り合ったことが、いかに特別で貴重なことか、信徒の徳の高さを麻原が称賛している説法テープだったことをいまさらのように思い出した。今にして思えば僕たちは信徒時代に麻原におだてられ、また特別感を煽られていたのだ。また宗教の恐ろしいところだが、信徒同士の会話の中で互いに高めあいもしていた。残念ながら広瀬はこのことをあまり重視していないのか本書では語られていない。
神秘体験を脳内体験だと考えているのは、僕と同じで納得できた。その個人的な体験を複数の人たちで語り合うことで、現実感を高めていったために、より信仰心が強化されたと解釈しているようだ。個人的現実性に社会的現実性が加わったと表現している。
ダルドリーシッディは座法を組んで瞑想していると、勝手に体が飛び跳ねてしまう現象だ。教団では実験により計測済みで、言われていたように一瞬「浮いた」のではなく、自分の足で跳ねていることが明らかだったとしていて、自分の印象とも一致している。当然この現象が空中浮揚の前段階ではないことをも表している。そもそもそのように表現するならば、徹底的にダルドリーシッディを鍛錬して、明らかな空中浮揚に至った人物が一人くらいいても良いはずである。それがいないのに空中浮揚の前段階としていたのは、オウムの修行レベルは高度であると、大袈裟に宣伝していたことをよく示していると思う。おそらく僕たち信徒・サマナ自身がオウムに抱いていた修行のレベルが高いというイメージは、実際とはかなり乖離したものだったのではないかと思う。ちなみにこの現象はいくら跳ねても筋肉痛にならないこと、筋肉の疲労感より体力の消耗感が激しいことが特徴で、修行がさらに進むとむしろ起きなくなってくるものである。
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