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読書紹介板

1398アクエリアン:2019/04/27(土) 07:52:12
先日オウムの違法行為の背景に原動力としての「予言」「教え」「組織」などのほかに、理性や罪悪感をブロックする「特別感」があったことに気が付いた。
輪廻を信じる信徒は、オウムに出会ってこの一生で仏陀となり苦しみの転生に終止符を打てるかも知れないと思い、非常に貴重なチャンスを得たと思った。おりしも世間には追い風のように新宗教ブームが到来している。ノストラダムスが予言した1999年は目前であり、ベルリンの壁が崩壊、ソ連ではペレストロイカからロシアが誕生。戦後半世紀近く続いた東西陣営という、世界を二分する対立軸そのものが消滅した。歴史的転換点を目の当たりにして、物質主義的価値観が逆転するような、とんでもない何かが起きるのではないか、それだけでなく反物質主義・煩悩否定の立場である自分たちこそ、その中心的役割を担うべきなのではないかと想像していた。
それによって、オウムの救済活動を例外事項として度外視してしまうようになった。オウムに出家して以降のことは、すべて自分の中では特例と考えることで、長い再教育期間を経ずとも、理性の影響を受けずに違法行為に至ってしまったのだ。自分たちは歴史上、とても重要な時代に生まれ合わせたと思い込んでしまっていて、遠い未来においては自分たちの行いが認められる時が来ると信じていた。予言された時代への「危機感」と、麻原・オウムに対して抱く「特別感」とは表裏一体で、信徒の中ではそれぞれが互いに高めあう関係にあったと思う。僕は『元愛弟子(治療省大臣)への無期判決―オウム「教祖」法廷全記録〈3〉』のレビューで、急速に感化されてしまう理由を考えたけれど、明確な回答を思いつくことが出来なかった。その答えが「特別感」だったと思う。


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