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読書紹介板
1134
:
転載
:2019/03/11(月) 16:35:48
聖書に吾らが祭壇に対して供物(そなえもの)を献ずるに当っては、
先ず兄弟と仲直りしなければならないと云うことが書いてある。
吾らは食事をとるに当っても矢張りこれと同じことをしなければならないのである。
何故なら 食事は自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式である からである。
一椀を手にしては 是れ今迄 過ちて人に対して憎み怒りし自己の罪が
神によって許されんがための供物であると念(おも)いて食せよ。
二椀を手にしては 是れすべての人の罪が 神によりて許されんがための
供物であると念(おも)いて食せよ。
三椀を手にしては 是れ神の護りによりて自己が再び隣人を憎み怒るの罪を
犯さざらんが為の供物であると念(おも)いて食せよ。
而(しか)して一杯の飲料を手にしては すべての人の罪を この水の如く
吾が心より洗い流して心に とどめざらんがための象徴(しるし)と思いて飲め。
若(も)し病人にして医薬を服用する者あらんには それを四口に分けて飲み、
この同じ想念をなして飲めば 病 必ず 速(すみやか)に癒えるのである。
すべての他の人の罪を恕(ゆる)すは、吾らの過(あやまち)をも亦(また)
大生命なる神より恕されんがためである。若(も)し吾等が心を閉じて他を恕さなければ、
大生命の癒能(いやすちから)もまた閉ざされて吾等に流れ入(い)ることは出来ないのである。
( 昭和 五 年 十一 月 四 日 神 示 )
谷 口 雅 春 先 生
『 神ひとに語り給ふ 』 神示講義 教の巻 ( 258 〜280頁 )
「 生長の家 の食事 」 PDF
http://sninagano.web.fc2.com/image/inori/inori-syokuji.pdf
#search=%27%E7%94%9F%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%AE%B6%E3%81%AE%E9%A3%9F%E4%BA%8B%27
【 参 考 】 食後の祈り
「 神の生命と愛とが 食物の形となって われに栄養を与え、
わが生活をして 神の栄光をあらわしめ給う。 」
この食事を 真心をもって作って下いました皆様に 心より感謝致します。
ご馳走さまでした。ありがとうございます。
ああ、美味(おい)しかった。 ( 二拍手 )
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