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読書紹介板

1109転載:2018/11/09(金) 15:27:59
“悪”なる現象は、本来ない。“気”(想念)の持ちようで顕れているだけ。 - 伝統
2018/10/12 (Fri) 03:46:33
         *『人生の秘訣365章』第8篇(P205) より

《“エデンの楽園”追放の意味するもの》

神がその創造したまえる一切のものを善なりと宣言せられた以上、
悪なる病気などは存在しないのは当然のことでなければならない。
だから病気は実在するものではないのである。

何故なら、神と“神による眞創造”とのみが実在であるのだからである。
そして神と“神の眞創造”とはすべて善であるからである。

それなのに何故実在しない病気等の悪が恰も存在するが如く見えるのだろうか。

此処に深遠なる“現象顕現の法則”があるのである。
―― 吾々の生きているこの現象世界は、其処に住む人の心の表現であるのである。

「実在の世界」は此処に今も常に厳然としてあれども、
その人の心が認めなかったら感覚面にはあらわれないのであるし、
“悪”は本来存在しないけれども、その人の“気”(想念)の持ちようで、
“悪”も恰も存在するかのようにあらわれるのである。

聖書に於ける“樹”というのは“想念”を意味する。
日本語に於いても“樹”は“気”に通ずるのである。
“善悪を知る樹”とは“善”のほかに“悪”も存在するいう想念である。

そのような“気”になれば、やはり色々と“悪”なる現象があらわれて来て、
實相世界(エデンの楽園)は今此処に《あれども》見えず、
苦しみの世界に追放された形をとることになり、

折角、“善きもの”の実現を祈りながらも
祈りが成就しない形をとることになるのである。

            <感謝合掌 平成30年10月12日 頓首再拝>


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