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読書紹介板

1096トンチカン信徒:2018/10/28(日) 19:11:19
日独伊三国同盟(にちどくいさんごくどうめい、独:Dreim?chtepakt、伊:Patto tripartito)とは、1940年(昭和15年)9月27日に日本、ドイツ、イタリアの間で締結された「日独伊三國間條約」に基づく日独伊三国の同盟関係を指す。対米同盟。第二次世界大戦における枢軸国の原型となった。

1.概要
日独伊三國間條約では1936年(昭和11年)の日独防共協定、1937年(昭和12年)の日独伊防共協定では曖昧だった三国の協力関係が具体化され、アジアにおける日本の指導的地位及びヨーロッパにおける独伊の指導的地位の相互確認、調印国いずれか一ヵ国が第二次世界大戦のヨーロッパ戦線や日中戦争に参加していない国から攻撃を受ける場合に相互に援助すると取り決めがなされた。
このため日本はナチス党率いるドイツと対立するイギリスやオランダとの関係が悪化し、アメリカ合衆国の対日感情も悪化することになった。また、ドイツにとってはヨーロッパ戦線におけるアメリカの参戦を牽制する狙いがあった。
三国はイギリス、フランス、オランダ、スペイン、ポルトガルなどに比べると植民地獲得が遅れており、日本は1895年に台湾を併合した他、第一次世界大戦の戦勝国となった結果、ヴェルサイユ条約によって1920年に国際連盟の委任統治領として、グアムを除く赤道以北(内南洋)を託された。しかし1910年に併合した朝鮮の経営に対しては赤字となっていた。ドイツは第一次世界大戦で30年近く保持していた各地の植民地を失い(太平洋にある植民地の多くが戦勝国の日本の手に渡った)、イタリアは1911年に初の植民地獲得となった。


2.締結に至る経緯
日独伊三国同盟への動きは、1938年夏から39年夏までの日独伊防共協定強化への動きと、40年夏から三国同盟締結に至るまでの動きの二つに分けられる。前者は対ソ同盟を目指したものであり、独ソ不可侵条約の締結により頓挫した。後者はソ連を加えた4ヵ国による対米同盟を目指したものであった。


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