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991神の子様:2015/07/20(月) 14:08:05
16 :「訊け」管理人:2012/04/15(日) 13:29:20 ID:???>茉莉香さま

 ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません。また、これを機会にこちらでも書込みを宜しくお願い致します。
姉さんと会話しますとオフザケ気味に、あの事件(本流w)に触れねばなりません(笑)不調和ですんでこれくらいに(笑)

>皆々さま

< 雑 談 1 >

昨夜の誌友会を経てより・・・なにか気づきが違ってきておるように感じます。うーん、なんと申せばよいのやら・・・たとえば「大調和の神示」に関して某ご高弟・某論文、これが以前に益しまして「心に沁み入ってくる」ような感じなのです。まあ、某ご高弟・某論文とは以下なのですが。

●「裸Ⅰ」(榎本恵吾先生)

(一部引用)

「切」とは裸である。そこに、具足しているものを想うのである。「親切」「深切」「大切」「切実」「切願」「切望」これらの言葉は切なるものを感じさせ、切々として魂をみたすものであり、相対的なものをはなれている。即ち切りすてている。目無堅間(めなしかつま)なるものを感ずるのである。

 「一切」とはなぜすべてという意味があるのか。それは一なる絶対が輝いている姿であるからである。

 または「一つに切る」、實相と現象という二つに切らず、實相だけの裸になる。

 “現象なし”“物質なし”“實相独在”である。形としての、物質で出来ている“神瘉祈願の名簿”は無いのである。五官にふれるものことごとく無である。物質は、現象は自ら消えているのである。

 一切のものの奥を見抜くという。裸にするという。すべてのものの奥を見抜いたとき、裸のままの神の子が見えて来たのである。

宇宙を見抜いて裸にしたとき、それが天照大御神であり、天照大御神が出でましておられたのである。

 天地一切礼拝感謝が生長の家である。

 イエスが「七たびを七十倍たびゆるせ」と言ったのは完全なる姿を七十回、即ち完全を完全倍裸にせよと言ったのである。

 波のごとく讃嘆の光りが裸そのものをめぐるのである。

(引用終了)

☆記念館・文書館3に全文ありhttp://homepage2.nifty.com/hanabira/



< 雑 談 2 >

 五十鈴(いすず)&イスラエルの件・・・・『実相と現象』だったと記憶してますが、同書にも五十鈴の意味、詳説が掲載されております。と書きながら思い出しましたが同書、たしか「七つの光明宣言」の解説、そんなページがあった気が・・・・・これから調べてみます。



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