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本板投稿移転板
716
:
トキ
:2014/04/10(木) 19:42:41
2248 :2245様へ:2014/04/10(木) 17:35:46 ID:Wz.fdqcs
5181 :うのはな:2014/03/18(火) 22:49:56
トキさんも朝昼夜とパソコン見る時間はあるみたいですね。
本部モニターさんより素早い反応じゃないですか(笑)
ここは、このサイト内では生長の家の名前をはずすのにやっきになって
傍流だけになっていますが、ネットでは生長の家の名で出ています。
5182 :トキ:2014/03/18(火) 22:51:31 いえいえ、うのはな様も神の子であり、仏の子ですから、礼拝しましょう。
ただ、本板でうのはな様への反論、異論は御控え下さい。
こちらの別板では、どんどんうのはな様への共感や反論を御願いします。
合掌 ありがとうございます
2249 :2245様へ:2014/04/10(木) 17:41:35 ID:Wz.fdqcs
上の今日のわたしの投稿をよくお読みになり、
それ以上に、なにか意見があるのなら、別版・運営版などを使うようにしてください。
あなたのように自分勝手に昔のコピペを出す人とは、不毛の口論になりがちです。
そういったことを解決するためにも、部室版で、うのはなさんがまじめに話してるのに
訊け氏が暴れるのでうのはなさんをはげますつもりで書き込みし出した、という人が、
誌友会参加をやめてまで、女神の部屋を閉鎖するように働いてくれたり、
別版運営版をつくるように提案してくれたのです。トキ管理人はそのことをよく考えるべきでは
ないでしょうか?
2250 :流氷:2014/04/10(木) 18:17:38 ID:y3xCQF/s
ちょうど、誌友会前に、ここの誌友会版のことについてウダウダいってる人が
他の掲示板でいたので、ウェブ誌友会版1での投稿を復習の意味でも掲載させていただきます。
今の誌友会に弊害があるようでしたら、削除してもらって結構です。
以下。
2251 :流氷:2014/04/10(木) 18:18:11 ID:y3xCQF/s
1996 :復興G:2013/01/24(木) 16:57:24 ID:AB6RqYXc
>>1991
:a hopeさま。
>>……それは、谷口雅春先生ご自身が、
>>読む分量ばかり多くて、読んだことについて深く自分で考えてみない者は、本に読まれたのであって、本を読んだのではないのであります。「ことごとく書を信ずれば書なきにしかず」という諺(ことわざ)もあります。書に読まれてしまっては、自分の力はつきません。自分で本の善いところを吸いとるだけの力がなくてはなりません。<<
と「生活読本」でおっしゃっていることからも、谷口雅春先生は、「たとえ自分の書いた本であっも表面だけ読んで盲信せず、しっかり心読して『真の教え』ををつかみなさい」とおっしゃっているような気がしてなりません。<<
そうですよね。
私は、昔学生時代に、『生命の實相』拝読に没頭するきっかけとなる影響を受けた本のことを思い出しました。
それは、前にご紹介したアンドレ・ジイドの『プレテクスト』から「文学に於ける影響について」という講演記録、それからトルストイの『人生読本』、亀井勝一郎の『読書に関する七つの意見』などです。
トルストイの『人生読本』には――
○ 最も野蛮な迷信の一つは、人間は信仰無しに生き得るものだという独断に対する、現代の所謂学者の大多数の迷信である。
○ 真の宗教とは、吾人を囲繞する無限無窮の人生に対する吾人によって打ちたてられた一種の関係の謂いである。即ち、吾人の生活をこの無限無窮と結びつけ、吾人の行為を導く所の関係である。
あらゆる宗教の本体は、何の為めに私は生きるか、自分を取り巻く無限無窮の世界に対する私の関係は如何なるものであるか、という疑問に対する解答の中にのみ存する。
○ 知識は記憶力によってではなく、自己の思想上の努力によって獲得された時にのみ、知識であり得る。
○ 学問に於て是非とも究め知る必要のある唯一の知識は、吾人が如何に生くべきであるかという事実に対する知識である。そして此の知識は、何人にも凡て獲得されるのだ。
○ いろんな知識をかき集めている学者共は不憫なものだ。ひとりよがりの哲学者達、飽くことを知らぬ研究家等は不憫なものだ。是等のよくない富者等は、ラザロの徒が絶えず飢えに悩んでいるにも拘わらず、毎日毎日自分たちの知識上の饗宴で無為徒食しているのだ。是等の人々は皆無に等しい代物でお腹が一杯になっているのだ。何となれば、そうした空しい知識は、道徳的完成にも社会的完成にも力を致すところがないからである。
○ 無益な学問をうんとこさと学び知るよりは、人生の法則を少し知る方がましである。
○ 自己の無識を恐れず、虚偽の知識を恐れよ。真実でないものを真実と思惟するよりは、むしろ何にも知らない方がましである。
――などとありました。
<つづく>
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