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3536
:
トーキングスティック版
:2019/09/16(月) 11:33:40
3401: 縹 :2014/04/27(日) 18:27:35 ID:oeUx5MQw
3400の続き
>磨きをかけて何時の日か眞我に至るというような眞我が隠れているものとしての偽我は有限か無限かはたまた存在しないものを存在すると思う妄想の産物かとの意味なのです。
まず、『聖光録』59頁の、「靈魂進化の神示」の知識を前提に置いてお話しさせて戴きますが、
未熟な現象人間であっても、それは、投影に過ぎないので、
不完全から始まって完全に到る、ということではないと思います。
ですから、妄想ではなく、投影を見ている状態だと思います。
この投影は、傍から眺める人の思い込みや、尺度によって、基準が変わるので、
<観る側の>妄想ということはあり得ると思います。
おそらく曳馬野様の疑問は、その投影とは、實相の催し(實相の専制的な作用)のみが優先されるものなのか、
それとも自己意志によって、投影を変化せしめることは可能なのか?
ということではないかと思います。
實相が有相なのか、無相なのかが気になるということは、そういう事なのではないかと思います。
自然界を観察すると、構造がフラクタルに展開している、
目耳鼻口手足の位置は、万人がほぼ同一で、どうやら一定の枠があるようだ、
ある一定の定まった規定があることは認められる、
どこまで自分の自由が許されるのか? と人は疑問に思う事もあるかも知れません。
神の投影としての自己は、神からの光を、信念により屈折さすことは可能と思います。
例えば、背を縮めて歩いてみたり。
雅春先生は、「信念を変えれば変わる」ということを度々教えて下さってました。
このように「信念を変えるだけで」色んな変化が起こるのです。
また「姿勢を正すだけで治る」ともお書き下さっていました。
再掲させて戴きますが―
>磨きをかけて何時の日か眞我に至るというような眞我が隠れているものとしての偽我は有限か無限かはたまた存在しないものを存在すると思う妄想の産物かとの意味なのです。
ここで、先程の神示を思い出して戴きまして、
周囲が如何に「そんなこと(物・経験)は、あなたには必要ない」と言えど、その人の成長レベルにおいては、善と本人が認められるものだった可能性が高いです。
その人にとっては、どうしても必要だった(と思っていた)。
本人には死活問題だったかも知れません。
しかし、周囲は、それぞれの基準で様々に評価します。
現象時間に、投影が展開するとき、水をやって種が芽を出すように、
色々の経験も積んで、成長していくという展開になるのだと思います。
先程の例で、周囲が必要ないと冷静に判断したものであったので、実際には、失敗だったかも知れません。しかし、何でも経験は、宝になりうると思います。単純に出会いでさえ宝で、辛い経験も宝、失敗も宝になります。心が養われると思います。
ですから、どの段階であっても、その人は、神の投影であり、そのまま完全であるとも言え、発展途上である状態であるとも言えると思います。その発展途上の段階で、失敗など色々の体験をしますので、それが菩薩としての栄養になると思います。辛い目にあった人でないと、中々相手の辛い立場は理解出来ないものです。
そして、それぞれの人は、神の個性的表現なのですよね。
「自分はこうだ」と思う通りになるのが、人間の實相だとも、雅春先生は教えて下さっています。
ここまでで、ほぼご説明はさせて戴けたように思うのですが、
實相の我について、私の経験を述べさせて戴きますと、
私が生長の家を知る前に、本当の自分を想像してみた事があります。
目が光って、龍が居る場所に居ました。
その時は、どうしてそんなイメージが浮かんだのか分からなかったのですが、
生長の家に入ってから、目と龍について知り、實相龍宮界というのがあることを知りました。
私がかつてイメージしたのは、實相の自分に近い姿を本当にイメージ出来ていたのかも知れないなぁと思ったのでした。
以上で、曳馬野様からの問いかけにお答えさせて戴けましたでしょうか?
また私の申し上げさせて戴きました事が間違っていないか、先生に確認させて戴きますね。
谷口雅春先生のご消息ですが、今も、ブラックソン氏の所に度々訪れられてご指導されていると伺わせて戴いた事があります。
また、古い先生の夢に、若々しいお姿で出て来られて、ハッキリとしたお声で、「ここで、お勉強しなさい」と指示されたということをお聞きしております。
輝子先生は、藤色のお着物で出て来られたそうです。
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