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2779トンチンカン信徒:2018/04/13(金) 04:08:14
♪現在〜志恩さん勧誘伝道コメントを、投稿してまいりました♪

〜信仰の活人剣に逸脱した志恩さんの、勧誘伝統の実態。

志恩ー
楠本加美野先生の祝福行は、、一軒一軒訪問されて、本をお渡ししなくとも、
(玄関内に入らなくとも家の前ででも)その訪問先の家の方の、御先祖と御家族と御本人様の、幸せを、お祈りする、愛行であり、
祝福行でありますから、それは、素晴らしい代表的な愛行の1つでありますけれど、
別に、戸別訪問のやり方は、決まった形でなくとも、それぞれで良いのではないでしょうか。

もう50年も昔のことですが、少女時代の私が、当時、目指していましたのは、その頃、
私の在住していた東京の、ある地区には、1つも、青年会支部会がなかったので、
早急に、新しい青年会支部会を、創設したいと思ったことが目的の、戸別訪問だったのでした。

目標が、はっきりと、決まっていたんです。その目標は、青年会支部会の 開設でした。

しかも、私は、当時、原宿本部の本部職員でしたから、戸別訪問をする時間は、週休1日の木曜日以外は、本部に出勤していましたから、
夕方から夜にかけての短時間しか、戸別訪問をする時間がなかった時代のことを、話させていただいたのです。

ですから、短時間勝負だったのです。東京は、家屋でもアパートでも、非常に密集している人口密度が高い地区なので、
一軒一軒、しらみつぶしに、戸別訪問している暇はなかったのです。。

その頃は、創価学会が、猛烈な勢いで、折伏していた時代でして、やたらと創価学会の信者のお宅が、多い時代でしたから、
できるなら、生長の家を天敵にしていた創価学会の信者の家は、戸別訪問して相手と話しても、時間の無駄になりますから、
パスして、行きたかったわけです。

ですから、効率の良い方法を考えなければ、青年会員は、あのようには、集められなかったわけでした。

うちの地区の青年会支部会は、発会したその後は、東京1の青年会と言われていたほど、活気のある
和気藹々とした いい雰囲気の 青年会を運営していたのです。

それは、前にも書きましたが、当時、大学生だった F青年が、青年会委員長になってくれましたが、
とても、良い人柄の、純粋で気高い精神の持ち主の 逸材の人物だったから、その委員長のおかげで、
いい青年会が運営できたのでした。青年会支部会は、2つ、創設しました。毎月、30名近い参加者がありました。

(そのF青年にも、私にも 孫がいるほどの年代になりましたが、彼は、他県在住ですが、今でも賀状交換しています。)


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